2011年12月21日

レミング

崖に向かって突き進んでるレミングの群れにどんな道理を説いても、説得することはできないだろう。

長期滞在してるクラインガルテンで、うちが入るちょっと前にガス爆発があった。ガス漏れ警報器が鳴ったので、ガス屋を呼んだのだが、警報器の誤作動だと言われて警報器を切った。で、翌朝、ヒーターを点けようとしたら、ドッカン!だったそうだ。

結局、事故が誰の責任ということになったのかは知らないが、地元の友人が「プロパンは臭いがあるのに、朝起きて気づかなかったのかね?」と不思議がっていた。都会から来てる人は「生きるための勘」が鈍ってやしないか、と。

最近、ツイッターを見ていて、同じことを感じる。今、右だ左だ、自然エネだガスコンだ、うんたらかんたらって足を引っ張り合ってる人たちは、5年後、10年後に自分が、子どもが、家族が、恋人が、癌になる…場合によっては死ぬ、という可能性を具体的にイメージできていないのではないか。

爆発炎上してる船の上で、「あいつらとは一緒の救命ボートに乗りたくない」だのやり合ってる間に、船が沈没してしまう。

日本人ほど「危機」に対する感受性の退化した民族もいないんじゃないかしらん?

まだテレビ観てるの?AKB?家政婦のミタ?まだ外食グルメしてんの?あるいはコンビニの弁当食べてんの?クリスマス・イルミネーション?…

…正直、理解不能だ。騒いでる割に、具体的な「生き延びるための行動」を遂行する集中力が決定的に欠けていると思う。

農産物はネットを使えばきちんと検査して数値を表示している生産者を探し出せる。割高でも命と健康には変えられないはず。そういう生産者から買うことこそホントウの「食べて応援」だ。あと、人は動物性食品を摂らなくても健康に生活できる。ウソだと思う人は戦後のアメリカ型栄養学に洗脳されてるだけ。肉、魚、卵、乳製品。どれも高度な生物濃縮が懸念される食品だから要注意。食べるなとは言えないけど、うちは食べない。

それと、なんでみんなマスクしないのかね?そんなに人と違うことするのがヤなのかね?

前のエントリで早川由紀夫氏のことを書いたら、「最後のひと言だけ余計」みたいなことを言ってる人がいたらしい。「軍靴の響き」ってとこね。メンションついてないTwだったんで直接見てないんだけど。悪いけど、ガス漏れしてても気づかないタイプの人だと思う。

今、仕事で“カミカゼ”について調べてるんだが、現在とホント同じ。ニッチもサッチもいかない状況になって、現状否認とオールオアナッシングな思考の悪循環に陥って、最悪の戦術を選択してしまう。上層部が決定して犠牲になるのは若者。あれからたかだか六十数年で、日本人の精神性が根本から変わるわけはないではないか。

もちろん、俺がやってることだって、全然、十分じゃない。本当ならもう、ニュージーランドかコスタリカあたりに逃げていたいところだ。だから、誰しもやれることには限りがあるのは分かる。でも、そのやれることすらやんなくてどうするの?

逃げた人だって、仕事や人間関係やしがらみがなかったわけではない。みんな、断腸の思いで振り切って、犠牲を払って、リスクを負って動いてる。“列から外れる”度胸も行動力もないだけのことを、他人を集団ヒステリー呼ばわりすることでごまかしてはいけない。

まあ、なんにせよ先日の野田首相「収束宣言」で、正直、この国に期待することは何もなくなった。レミングの集団自殺にも何か大いなる摂理が働いてるのかもしれない。でも、俺は一緒に行進するのはご免だね。
posted by snail trail at 01:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月11日

早川由紀夫

早川騒動について、書いておこうと思う。長文になるので、本来、ブログに載せりゃいいのだが、この件に関してはできるだけ多くの反応が欲しいと思うので、無粋な連続Twになってしまうが、あえてツイッターで書くことにする。というわけで、珍しくレスお待ちしてますゥ。よろぴく(続)

(承前)まず、私は早川由紀夫氏をフォローしたことがない。だが、家人がフォローしていたし、RTで飛んでくるから、主要なツイートに関してはほとんど目にしたことがあると思う。もちろん、いわゆる「早川マップ」は311以降の行動の判断材料とさせてもらっていた(いる)。(続)

(承前)なぜフォローしなかったかと言えば、やはり早川氏のツイートに何かトラブルを引き寄せそうな語気を感じていたからだと思う。そういう人のTLは荒れる。荒れると泥仕合のしぶきが飛んできて結果として有用な情報の濃度が薄まってしまうので、情報収集という観点から非効率なのでフォローしなかった。(続)

(承前)だから私は早川氏のツイートの前後の文脈は具体的に知らないが、不穏当な物言いをする人だという認識はあった。それでも氏がツイートしている情報が有用であることは疑いの余地がなかった。(続)

(承前)で、今回、早川氏が「訓戒」という「処分」を受けることになって、まあ、予想どおり喧々囂々の騒ぎになったわけだけど、そんな中で見過ごせない違和感を感じたのが、早川氏の言説が「ヘイトスピーチ」にあたるから、氏がもたらした情報がどれだけ有益であっても許されるべきではない、という意見だ。(続)

(承前)早川氏のことばは「ヘイトスピーチ」だろうか?確かに彼は福島の農家にショックを与えたかもしれない。不快にしたかもしれない。傷つけたかもしれない。しかし、それと「ヘイトスピーチ」はまったく別物だ。(続)

(承前)誰かの発言に対して、「言っていいことと悪いことがある」と批判することと、「ヘイトスピーチ」というカテゴリーに入れて糾弾することは違う。(続)

(承前)個人的な話をしよう。もし、親しい農家が「危険かもしれない」と分かっている農産物を「国の基準は通るから」という理由で出荷しようとしたら、私は止めようとするだろう。その際、相手が理解しなければ「お前のやってることはオウムと同じだ!」くらい言うかもしれない。(続)

(承前)それは「言ってはいけないこと」かもしれないが、「ヘイトスピーチ」という「問題」とは何の関係もない。(続)

(承前)早川氏を嫌韓の人たちと同列に論じては絶対にいけない。なぜなら、嫌韓の人たちの意図は「韓国憎し」であり、韓国人という存在そのものを貶めることだからだ。早川氏が「憎んでいる」としたら、それは放射性物質のなし崩しの拡散であり、福島の人々ではないのは明らかだ。(続)

(承前)こういうことを言うと、「目的のためなら、手段における悪は許されるのか」などと言う人がいるだろう。これは認識の混乱であるか、さもなくば意図的な詭弁だ。なぜなら私は早川氏の言動が許されるべきだとはひとことも言っていない。ただ、それは「ヘイトスピーチ」とは区別されるべきだ、と言っているのだ。(続)

(承前)友人に「お前のやってることはオウムと同じだ」などと言ったら、私は殴られるだろうし、友情は終わりになるだろう。それは許されるべきことではない。だから、私はその代価を払う。でも、「ヘイトスピーチ」で糾弾されるいわれはない。(続)

(承前)この一件を、「ヘイトスピーチ」という「問題」として語ろうとすることにどうしようもなく政治的な臭いを感じる。もちろん「言論」「学問」の「自由」という「問題」として語るのも同様の陥弊があるんだけど。(続く)

(承前)早川氏の言い方が「あんまりだ」と思うなら、それはそれとして批判すればいい。だが、「不快を与える言説」=「ヘイトスピーチ」と短絡するのは危険すぎるだろう。(続)

(承前)大学関係者はもう少し騒いでもいいんじゃないの?だって、あなたがたの研究が誰かの(私の?)「心を傷つけた」から「ヘイトスピーチ」だ、「処分」だ、ってことになりかねない話なんじゃないの?被害者を「聖化」することもひとつの「差別」だってことを思い出してほしい。(続)

(承前)いずれにせよ、私は今回の一件ではっきり「軍靴の響き」を聞いた気がする。(終)

(全文Twitterより)
posted by snail trail at 02:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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