2013年08月26日

負債:その5000年の歴史 2-3

DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 2 The Myth of Barter (3)

第二章 物々交換という神話B

 というわけで、この物語はあまねく知られています。まさに現行の経済システムの創世神話です。それはすでに私たちの常識の中に深く刷り込まれていて、マダガスカルのような地ですら、人々はお金の起源について他の可能性を想像できないほどです。

 問題は、これが実際に起きたことだいう証拠が全く無いこと。そして、そうではなかったと示唆する証拠が膨大に存在することです。

 何世紀もの間、探検家たちはこの伝説の物々交換の地を見つけようとしてきましたが、誰も成功しませんでした。アダム・スミスは物語の舞台を北アメリカ先住民に設定しているようです(アフリカや太平洋の島々を好む経済学者もいます)。たしかに、少なくともスミスの時代のスコットランドの図書館には、ネイティブ・アメリカンの経済システムに関する信頼のおける情報は無かったでしょう。しかし、19世紀半ばにはルイス・ヘンリー・モーガンのイロコイ族の6部族連邦に関する報告が出版されているわけです。そこにはイロコイ族の主要な経済機構はロングハウスであったことが明らかにされています。物資のほとんどはそこに貯蔵され、女性たちの寄合によって分配されました。矢じりを肉の塊と物々交換する、などということはしなかったのです。

 しかし、経済学者たちはこの情報を完全に無視しました。例えば、1871年に貨幣の起源に関する古典的な著作を出版したスタンリー・ジェヴォンズは、鹿肉やらエルクやらビーバーの皮やらを交換するという、スミスの使った例をそのまま採用しています。実際の北米インディアンの生活についての報告を読めば、こうした話が完全にスミスの想像の産物であることが明らかなのに、そうした情報を活用しようとはしませんでした。また、宣教師や冒険家や植民地の行政官らが世界中に進出していった時代、スミスの本を読んでいた者たちは、どこかに物々交換の地があると期待して出かけて行ったのですが、結局、誰もそれを見つけることはありませんでした。彼らは、世界にはありとあらゆる形態の経済システムがあることを知りました。にもかかわらず、こんにちに至るまで、隣人同士の日常の経済的なやり取りの中で「あんたのウシと俺のニワトリ20羽を交換しよう」などと言っているような社会は世界のどこにも発見されていないのです。

 物々交換についての人類学からの決定的な考察は、ケンブリッジ大のキャロライン・ハンフリーによってなされました。その結論はこれ以上ないほど“決定的”です。
「物々交換の経済は存在しない。これはあまりにはっきりしている。今まで記録されたこともなかったし、そこから貨幣が出現したということもあり得ない。民族学的記録のすべてが、そのようなものは存在しなかったと示唆している。」

 ここではっきりさせておきたいのは、物々交換という行為自体が存在しないというわけではないし、スミスが「野蛮人」と呼ぶような人々によって行われていないというわけでもないということです。ただ、それはスミスの例のように、同じ共同体に属する村人同士の間では行われない、ということです。通常、物々交換はよそ者、もしくは敵との間で行われます。

 ブラジルのナンビクワラ族(Nambikwara)の例を見てみましょう。彼らはまさにスミスが例に挙げるような人々です。単純な社会構成で分業化はさほど見られず、多くても100人程度の部族集団に分かれて生活しています。時折、別の部族が煮炊きのためにおこした火を見つけたりすると、使者を送って交換のための会を開く交渉をします。申し出が受け入れられると、女性と子どもを森の中に隠してから、相手の部族の男性たちを招待します。それぞれの部族集団には酋長がいます。全員が揃うと、酋長はそれぞれ相手の部族を褒め称え、自分の部族を謙遜するスピーチを行います。そして全員、武器を置いて一緒に歌い踊ります。このダンスは戦の身振りを模したものです。それが終わると、個人同士の物々交換が始まります。

 何か欲しい物があれば、その持ち主に対して、それがどれだけ素晴らしいか誉めちぎる。相手は、その持ち物を手放したくないか見返りをもっと欲しい場合には、それが貴重だと言う代わりに、くだらない物だと主張する。たとえばそれが斧だとしたら、「この斧はダメだ。古くて鈍っている」などと言うのだ。

 合意に至るまで、こうしたやり取りが、怒ったような声で行われる。話がつくと、それぞれが相手の手から品を奪い取る。たとえば首飾りを交換した場合、それを自分で外して手渡すのではなく、相手が力づくで奪い取らなければならない。一方の集団が忍耐を欠き、完全に話がつくのを待たずに相手から品を奪い取ったりすると、口論が起き、しばしば暴力に発展する。


 最後には女性たちが森から出てきて、盛大な宴が行われます。しかし、ここにも諍いの種があります。音楽と高揚した気分の中で、性的誘惑がさかんに行われるからです。嫉妬から口論が起こり、時には誰かが殺されることもあります。

 これが物々交換の実態です。祝祭的な要素に包まれてはいますが、それは潜在的に敵同士であり、戦争をしてもおかしくない集団の間で行われるものなのです。そして、人類学者の記録のとおりであれば、後になって一方の集団が不当な取引だったと感じた場合には、簡単に本当の戦争が起こります。

 次に、地球を半周ほど回ったオーストラリアの西アーネムランドにスポットライトを移動してみましょう。そこに住むグヌィング族(Gunwinggu)の人々はザマラグ(Dzamalag)と呼ばれる交換の宴で近隣の村の人々をもてなすことで知られています。この儀式では、実際に暴力沙汰が起きる危険性はかなり薄れています。その要因の一つとして、この地域の人々には半族制度による秩序が存在することが挙げられます。どの村の出身者であれ、同じ半族に属する者同士では、婚姻はもちろん、性交もしてはならないという決まりがあります。逆に、属する半族が違っていれば、相手と見なして構わないということです。つまり、ある男性にとって、自分の村であろうが遠く離れた村であろうが、女性の半分とは性行為を禁じられていますが、あとの半分とは遠慮なく事に及べるのです。さらに、この地域には村ごとに特化した交換の品があります。それぞれの村に、他の村と交換するための特別の品があるわけです。

 以下は1940年代にロナルド・バーント(Ronald Berndt)という人類学者が記録したザマラグの様子です。
 ここでも儀式は見知らぬ者同士の間で始まります。最初にいくらかの話し合いがもたれたのち、一方が他方の村に招かれます。ゲストの村は鋸状の刃がついた素晴らしい槍を作ることで知られています。ホストの村はヨーロッパ製の上質な布地を手に入れるルートを持っています。宴はゲストのグループがホストの村の“輪の場”と呼ばれるダンスの場所に入ってくるところから始まります。ゲストの中の3人が音楽を奏で、ホストを楽しませます。2人が歌を歌い、3人目がディジェリドゥで伴奏します。そのうち、ホスト側の女性たちがやって来て、音楽を奏でる男たちに襲いかかります。

 男も女も立ち上がって踊り出す。グヌィングの女性2人は音楽を奏でる男たちと反対の半族に属しており、彼女たちが男たちに「ザマラグを与える」ところから儀式が始まる。彼女たちは男たちに布を差し出し、男たちに触れたり叩いたりする。ついには男たちを地面に引き倒し、「ザマラグの夫」と呼びながら、エロティックな戯言に興ずる。

 これをきっかけにザマラグの交換が始まる。じっと座ったままのゲストの男たちに対し、反対の半族の女たちがやって来て布を差し出し、叩き、性交に誘う。男たちはされるがままだ。歌と踊りは続き、歓声がわき起こる中、女たちは男たちの股間に手を伸ばし、腰巻を解いてペニスに触ろうとする。さらに“輪の場”から引きずり出して性交にいたろうとする。男たちはまるで渋々そうするかのように、ザマラグの相方と共に火に照らされた踊りの場を後にし、離れたブッシュの中で性交する。男は女にタバコかビーズを渡す。女たちは戻って来ると、自分の本当の夫にこのタバコを渡す。夫たちは妻がザマラグに参加することを奨励したのだ。順番がくると、この夫たちもザマラグの相手を得て性交し、このタバコを相方の女性に渡すのである。


 入れ代わり立ち代わり歌い手と伴奏者が現れ、同じように女たちに襲われ、ブッシュの中に引っ張り込まれます。男たちは自分の妻に「恥ずかしがるな」と言ってハッパをかけます。グヌィングのもてなしをしたという評判を保つために必要なことだからです。最終的にはその夫たちもゲストの妻たちと性交します。同じように贈り物を差し出され、叩かれ、ブッシュの中へと誘われるのです。ビーズとタバコが循環します。参加者の全員が少なくとも1度はペアになって性交し、ゲストが手に入れた布に満足すると、女たちは踊りを止めて2列になって立ち、ゲストは彼女たちに代価を払います。

 ゲストの中の一方の半族の男たちが、反対の半族の女たちに踊りながら近づき、「ザマラグを与える」。シャベルのようになった刃先の槍を持ち、まるで女たちを突くような振りをするが、刃の平らな部分で叩くだけだ。「お前たちを槍で突いたりしない。すでにペニスで突いたから。」そう言って槍を女たちに差し出す。次にゲストのもう一方の半族の男たちが、同じような所作の後に、反対の半族の女たちに、鋸状の刃のついた槍を差し出す。これで儀式は終わりだ。続いて大量の食べ物が振る舞われる。

 この非常にドラマチックな記録は、多くの事柄を明らかにしてくれます。グヌィング族はナンビクワラ族の交換儀式と全く同じ諸要素(音楽、踊り、潜在的な敵対関係、性的誘惑)を、ある種の祝祭的なゲームに仕立て上げました。そこでは危険性は大幅に薄められ、バーントが強調しているように、参加者全員が大いに楽しんでいるのです。むろん、背景として、西アーネムランドでは部族間の関係が概ね友好的であることも幸いしているでしょう。

 しかしながら共通しているのは、それらが見知らぬ者同士の間で行われ、おそらくは2度と会うことのない相手だということです。当然のことながら、継続的な人間関係を持つことになる相手ではありません。だからこそ、1対1の交換を行うことが適切なのです。それぞれの側が品を差し出し、それで終わりです。そのためにまず、音楽や踊りなどの快楽を共有することによって、友好的なムードで場を包みます。交換には常にこうした友好的ムードが不可欠です。そして、実際の交換が行われる段になると、じゃれ合うように攻撃する振りを見せることによって、潜在的な敵意が表現されます。見知らぬ者同士の物品の交換においては、常に潜在的な敵意が存在しています。なぜなら、どちらの側も相手を騙すことができ、そうしない理由はどこにもないからです。そしてナンビクワラ族の場合は友好的ムードは壊れやすく、遊戯的な攻撃性の表現が本物の戦いに変わることも珍しくありません。これに対して、性に対しておおらかなグヌィング族は、快楽の共有と攻撃性を、見事に一つの儀式的要素にまとめています。

 ここで経済学の教科書の言葉を思い出してみましょう。「貨幣のない世界を想像してみよう」「物々交換の社会を想像してみよう」云々。上に挙げたような人類学的記録がこれ以上もないほど明らかにしていることの一つは、経済学者の想像力というものがどれほど乏しいかということではないでしょうか。

 なぜそうなってしまうのでしょう?そもそも「経済学」という学問は、靴とジャガイモであれ、布と槍であれ、あらゆる場合において「交換」とは各個人が最も有利な条件を求めて行うものだという前提に立ち、それを対象とすることによって成立しています。そこでは物品の交換は、戦い、情熱、冒険、謎、性、死などとは無関係なものとして抽出されます。経済学においては、人間の行動の様々な領域の間は厳然と区別され得ると考えていますが、グヌィングやナンビクワラの人たちにそんな区別はありません。

 こうした区別はそもそも特定の制度の存在を必要とします。すなわち、警察、監獄、弁護士などです。それらがなければ、互いに相手を好いておらず、継続的な関係性を保とうとする意志が全くなく、相手から最大の利益を得ることだけを考えている者同士が、あからさまに相手の所有物を奪う行為にいたらない理由はありません。そして、さらにこの区分は、私たちの生活が、市場(買い物をする場)と消費の領域(音楽、宴、性的誘惑などが行われる場)にきれいに分割されるという考えにつながります。ここでも、経済学の教科書に登場するような世界観―アダム・スミスがその普及に絶大な役割を果たしました―は今や私たちの常識の一部となってしまっており、別のあり方を想像することすら難しくなっています。

 こうした例から、なぜ物々交換をベースにした社会が成り立たないのかが徐々に明らかになります。もし、そんな社会があったとしたら、そこでは誰もがお互いの喉元に刃を突きつけているようなもので、今にも襲いかかる構えを見せながら、永久に宙吊りになったような状況で生きなければならないでしょう。知っている者同士で物々交換をする例もありますが、その場合も両者の間に相互的な責任や信頼関係は存在せず、継続的な関係を築く意志がない、つまりは他人であっても構わないような相手なのです。例えば、パキスタン北部のパフトゥーン人は盛大なもてなしで知られていますが、彼らが物々交換をする相手は、もてなしの間柄(あるいは血族関係など)に含まれていない人々です。

 男たちは物々交換による取引を好む。それはアダルバダル(adalbadal=give and take)と呼ばれる。男たちは常に自分の持ち物をもっと良い物と交換できないかと目を光らせている。たいていは、同じ物を交換する。例えばラジオを別のラジオと、サングラスを別のサングラスと、腕時計を別の腕時計と、といった具合に。しかし、全く別の物が交換される場合もある。例えば自転車をロバ2頭と、など。アダルバダルは必ず親戚関係ではない者同士で行われる。男たちは相手より有利な条件で取引をすることに大きな喜びを感じる。取引で得をすると彼らはそれを大いに自慢したがる。損をした者は取引を御破算にしようとするか、掴まされた品を誰か何も知らない者と交換しようとする。アダルバダルをするのに最高の相手とは、遠くに住んでいる者で、そうした者は苦情を言いに来る可能性が低いからである。

 こうした不届きな動機による交換は、何も中央アジアに限ったことではありません。スミスの時代から100〜200年前までは、英語の truck and barter (取引・交換)は、「騙す。巻き上げる。盗む。」の意味でした。これはフランス語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、ポルトガル語においても同様です。自分が最大の利益を得るように画策しながら何かを別の何かと直接交換するという行為は、通常、大切に思っていない相手、2度と会うことがないであろう相手との間にすることです。そのような場合、相手を都合のいいように利用するのを思いとどまらせる理由はありません。一方、相手が例えば近所の人であったり、友人であったりした場合、公正にかつ誠実に付き合おうとする気があれば、必ずや相手の個人的な必要や、希望や、状況を考えに入れた上でやり取りするでしょう。たとえ物品を交換した場合でも、あなたはおそらくそれを贈り物だということにするはずです。
(つづく)

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2013年08月18日

負債:その5000年の歴史 2-2

DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 2 The Myth of Barter (2)

第二章 物々交換という神話A

 とはいえ、彼(※アダム・スミス)は何もないところからこの物語を創作したわけではありません。紀元前330年にアリストテレスがすでに、政治学に関する著述の中でおおかた似たような方向性の考察を行っています。原初においては、それぞれの家族が必要な物すべてを自分たちで生産していたであろう、と。そして、徐々に一部の人々が専門化したと推測される。トウモロコシを栽培する者、ワインをつくる者などが現れ、それぞれの生産物を交換したであろう。そして、そうしたプロセスの中から貨幣が生まれたのだ、とアリストテレスは推論します。しかし、それがどうやって発生したのかについては、この物語を事あるごとに繰り返し語った中世の学者たち同様、アリストテレスも歯切れが悪いのです。

 コロンブスを筆頭に、スペインとポルトガルの冒険家たちが金と銀の新たな源泉を求めて世界中を漁り回っていた頃には、こうした曖昧な物語は聞かれなくなりました。理由は明快、誰も「物々交換の地」を発見しなかったからです。16世紀から17世紀にかけて西インド諸島やアフリカを旅した航海者たちは、あらゆる社会に独自の形態の貨幣があることを当然と心得ていました。なぜならどこに行っても政府が存在し、政府は必ず貨幣を発行していたからです。

 これに対しアダム・スミスは、同時代の常識となっていた知識を断固として覆そうと決意していたようです。彼は何よりも、貨幣は政府によってつくられるものだという認識自体を否定しました。この点でスミスはジョン・ロックのような自由主義的な政治哲学の後継者でした。ロックによれば政府とは私的財産を守るために設立されるもので、そのはたらきに限定される時に最も有効に機能すると論じました。スミスはこの議論を拡大し、私的財産、貨幣、市場などは、政治機構に先立って存在しているものであり、人間社会の根幹を成すものだと強弁したのです。そして、政府が経済活動に対して果たすべき役割があるとすれば、それは通貨の安定性を保証することのみであり、そこに限定されるべきだとしました。このような議論によって彼は、経済学は人間探求のための独立した学問分野であり、自立した原理と法則に従う―つまり、倫理や政治とは関係無く成立する―と主張したわけです。

 スミスの説は詳しく検討する価値があります。何しろそれは、私に言わせてもらえば経済学という学問の創世神話なのですから。

 経済活動の根源にあるものは正確に言って何なのか、とまず彼は問いかけます。それは「人間のある本能的な傾向… ある物を別の物と交換、交易、取引するという傾向である。」動物はこのようなことをしません。スミスは観察を披露します。「犬が別の犬と意図的にかつ公正に骨を交換するのを見た者は誰もいない。」しかし、人間は放っておけば必ず所有物を比較し、交換を始める。それが人間というものだ、と。論理や会話さえ、ある種の交換だと言えるかもしれない。そして、あらゆる営為においてそうであるように、人間は交換という行為からも、自分にとって最も有利な立場と、最大限の利益を獲得しようとする、というわけです。

 この衝動が巡り巡って、人類の文明と偉大なる達成の数々を生んだ、分業というものをつくり出すことになります。ここでまた、経済学者お得意の「どこか遠くにあるお伽の国」が登場します。北米インディアンと中央アジアの遊牧民を合わせたような趣です。

狩猟採集民の部族において、他の者たちより迅速かつ巧みに弓矢を作る者がいるかもしれない。彼はしばしば、作った弓矢を牛や鹿肉と交換する。そして彼は、このような方法を用いたほうが、自分自身で捕りに行くよりたくさんの牛や鹿を獲得できることに気づく。よって、彼自身の利益の観点からも、弓矢づくりがこの者の主な生業となっていく。彼はある種の武器製作者となるのである。別の者は、この部族の住居である小屋や移動式住居の骨組みや被壁などを造ることに長けている。彼は普段からこの能力を隣人たちのために提供し、見返りにやはり牛や鹿肉を得ている。ついに彼もまた自らの利益の観点からこの仕事に専念することを選び、ある種の大工となる。同じようにして、ある者は鍛冶師や真鍮細工師となり、ある者は未開人の衣服の主な材料となる皮をなめす職人となり…

 しかしながら、このように専門の弓矢職人、テント小屋職人などが現れて分業が進むと、問題が起こることに人々は気づきます。ここでもまた例にもれず、話は空想上の未開人から、小さな町の商店に飛びます。

しかし分業化が始まった当初は、交換の力は事あるごとに滞り、ばつの悪い思いをすることになったはずである。ある人が自分が使う以上の何かを持っていて、別の人はその何かが足りていないとする。前者はこの余剰な何かを喜んで手放す用意があり、後者はその一部を購入したいと考える。しかし、もし後者が前者が必要とする物を何も持っていなければ、両者の間に交換は成立しない。肉屋が自分自身で食べきれないほどの肉を店に持っていて、パン屋と酒屋はそれぞれ、これを購入したいと思っている。しかし、彼らには見返りに差し出す物がない。
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このような不便を避けるため、分業が成立した後の社会に生きる思慮深い人ならばつねに、以下のような方法でやり取りを円滑に行おうとしたはずである。すなわち、自分自身の生業による生産物以外に、他の人がそれぞれ自分の生産物と交換することを拒絶しないであろうと考えらえる品を、つねに保有していようと努めるのである。

 つまり、みんな他人が欲しがりそうな物をため込み始めるというわけです。これには矛盾した効果があります。ある時点を過ぎるとその品の価値は下がるはずなのに(誰もが持っていることになりますから)、逆に価値が上がることになります(それが事実上の貨幣になるからです)。

アビシニアでは塩が商いと交換のための共通の品であったという。インドの沿岸部のある地方では特定の種類の貝が、ニューファンドランドでは乾燥した鱈が、西インド諸島の我が国の植民地のいくつかでは砂糖が、その他のいくつかの国ではなめし皮が、こうした役割に用いられていた。さらに、私が伝え聞いたところによると、こんにちでもスコットランドのある村では、職人がカネの代わりに釘を持って、パン屋や酒屋に行くことが珍しくないという。

 そして、ご存じのように、最終的にこの品は貴金属に絞られていきます。金属は、少なくとも長距離の交易においては、通貨として理想的な特長を備えているからです。丈夫で、持ち運び易く、全く等しい価値を持つ小片に分割することができます。

さまざまな国がさまざまな金属をこの用途に用いてきた。古代スパルタ人は鉄を通商のための共通の道具として用いた。古代ローマ人は銅を用いた。裕福な商業国家は例外なく金と銀を用いた。
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こうした貴金属はもともと延べ棒の状態で用いられていた。刻印や鋳造はなされていなかった。
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このような未加工の状態で貴金属を使用することには、2つの大きな問題があった。計量の問題と、試金の問題である。貴金属はわずかな量の差で価値が大きく違ってしまう。正確に計量するためには少なくとも精密な重りと秤が必要になる。とくに金の計量は難しい作業である。

 話がどこへ向かっているかは簡単に分かります。粗雑な金属の塊でも物々交換よりはマシだ。しかし、例えば金属片に重さと品質を示す刻印を施し、統一的に保証することで、普遍的な単位を確立すればさらに便利ではないか?もちろん、そうでしょう。かくして貨幣鋳造が生まれた、というわけです。鋳造貨幣を発行するということは、政府が関与するということです。鋳造所はどこでも政府が運営しているわけですが、この物語のスタンダードなバージョンでは、政府の役目は1つだけということになっています。すなわち、貨幣の供給を保証することです。しかし、この役目は大抵、悪用されます。歴史を通じて、私腹を肥やすために貨幣の質を落としてインフレを起こしたり、政治的な騒乱を起こしたりした王は枚挙にいとまがありません。経済学的には簡単な常識に過ぎないことなのに。

 この物語は経済学という学問の基礎を築くのに不可欠な役割を果たしただけでなく、“経済”という道徳とも政治とも独立した、自律的規則に基づいて運動する何かが存在するのだという理念そのものを打ち立てたのです。そして、その“経済”こそが経済学者の研究対象なのである、と。
“経済”こそ、われわれ人類が生来の本能に従って取引と交換を行う場である。われわれは今も取引と交換に興じている。これからもそうだろう。そして貨幣とはそれを最も効果的に行うための手段なのだ、というわけです。

 のちにカール・メンガーやスタンレー・ジェヴォンズらがこの物語に改良を加えました。それぞれ異なった欲求を持つランダムな構成の人間集団において、いずれ1つの商品が貨幣として用いられるようになるばかりか、統一された価格システムがつくられることを、さまざまな数式を導入し、理論的に示したのです。彼らはさらに、たくさんの見栄えのいい述語を使った言い換えをしました(例えば「不便」→「取引コスト」)。ここで重要なのは、結局、この物語が多くの人々に常識として受け入れられたということです。学校の教科書や博物館では子どもたちにもそれを教えています。誰でも知っている話です。「むかしむかし、人は物々交換をしていました。とても大変でした。だから人々は貨幣を発明しました。そしてあとになって銀行業と金融が発達しました。」そこで描かれるのは時代が下るにつれて洗練度と抽象化が進むという、単純明快な進歩の図式です。人類は石器時代のマストドンの牙の交換から、株式市場、ヘッジファンド、デリバティブ証券化へと着実かつ合理的に歩んできたというわけです。

 本当にどこに行ってもこの物語に行き当たります。お金のあるところ、この物語があるのです。あるとき、私はマダガスカルのアリヴォニマモの町で、カラノロにインタビューをする機会を得ました。カラノロとは、地元の霊媒師が秘密の箱の中に入れて家に隠しているという、小さな霊的存在だそうです。それはもともと、地元の高利貸しだったノーディーンというひどい女性の兄弟のものだったということで、正直、私はそんな一家と関わりを持ちたくなかったのですが、友人たちに説得させられました。何しろ、太古から存在し続けている霊と話ができるなんてめったにないことですから。カラノロはついたての向こうから、霊媒師の口を借りて、この世のものとは思えない不気味な震える声で話をしました。しかし、よくよく聞いていると金のことしか興味が無いようです。私は芝居がかったやり取りに少々うんざりしてきて、こう訊きました。「大昔、あなたがまだ生きていた頃は、お金の代わりに何を使っていたんですが?」

 不気味な声はすぐに答えました。「いや、金などというものはまだ無かった。いろいろな品を直接交換したのじゃ。あれをこれ、これをあれと…」

(つづく)




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2013年08月06日

負債:その5000年の歴史 2-1

"DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 2 The Myth of Barter (1)

第二章 物々交換という神話@

複雑で微妙な問題には必ずや単純明快な答えがあるものだが、それは往々にして間違っている。H.L.メンケン

単なる義務―すなわち特定の仕方で振る舞わなければならないとか、場合によっては誰かに借りがあるとする意識―と、負債の違いとは、端的に言って何なのでしょう?答えは簡単:金です。負債と義務の違いは、負債は正確に数量化できると言う点にあります。これには貨幣が必要です。
貨幣が負債を可能にするばかりではありません。貨幣と負債は、全く同時に登場したのです。文字による最古の記録の一つに、メソポタミアの書字盤があります。そこには寺院を貸主とする貸し付けや配当、土地の借地料などが、穀物と銀の数量として正確に記載されていました。そして、最初期の道徳哲学/倫理学の仕事とは、道徳を負債として(つまり金に換算して)とらえるための考察でした。
負債の歴史とは貨幣の歴史そのものなのです。人間の社会における負債の役割を理解するための最もシンプルな方法は、貨幣がこれまでどのような形態を取り、どのように使用されて来たか、そしてその意味についてどのような議論がなされてきたかをたどることです。ここでは必然的に、私たちが慣れ親しんできたものとはかなり違った貨幣の歴史が語られることになります。経済学者が考える貨幣の起源においては、負債は後から登場するものでしかありません。初めに物々交換ありき。そして貨幣がつくられ、後に信用貨幣(クレジット)が発達する、と。ことはフランスだろうと、インドだろうと、中国だろうと一緒です。そうした地域での貨幣の歴史に関する書物を紐解いても、出てくるのはたいてい鋳造制度に関する話ばかりで、クレジット制度に関する議論はほとんどありません。もう一世紀近く前から、私たち人類学者はこの構図に大きな誤りがあることを指摘してきました。世界中のコミュニティーや市場で私たちが実際に観察することのできる経済活動の有り様は、経済史が提供するスタンダードな説とはかけ離れています。どこの共同体でも、それぞれの人が他の人に対して実に様々な形の負債を負っており、ほとんどの取引は通貨を使用せずに行われているのです。
この食い違いはどこからくるのでしょう?
物理的証拠の残りやすさという自然の摂理もあります。硬貨は考古学的エビデンスとして残りますが、貸し借りの約束はそうはいきませんから。しかし、ここにはもっと深い問題もあります。経済学者にとって貸し借りと負債の存在は、昔からある種スキャンダラスなものとして扱われてきたのです。なぜなら、金を貸したり借りたりする場合、それが純粋に経済的な動機から行われていると考えることは不可能に近いからです(例えば赤の他人に金を貸すことと、従兄弟に金を貸すことを全く同じに考えることはできないでしょう)。だからこそ、貸し借りと負債を完全に消し去った世界から始めることが必要だったのです。人類学の手法を用いて貨幣の真の歴史を再構築する前に、私たちは従来の説のどこが間違っているのかを理解する必要があります。
経済学者はたいてい、貨幣には三つの機能があると言います。交換の手段、価値の尺度、そして価値の貯蔵です。どんな経済学の教科書でも、貨幣の第一義的な機能は交換手段であるとしています。以下は典型的な例として"Economics"by Case, Fair, Gartener, and Heather(1996)からの抜粋です。

貨幣は市場経済が機能するために必須である。貨幣がなければどんな生活が待っているか想像してみるといい。貨幣経済でなければ物々交換するしかない。商品やサービスを他の商品やサービスと、貨幣と云う媒介を介さず、直接交換するのだ。
物々交換のシステムがどのように機能するか見てみよう。例えば、朝食にクロワッサンと卵とオレンジジュースが欲しかったとする。だが、食料品店に行ってこれらの品物を金を使って買うことはできない。あなたはそれらの物を所有していて、かつ交換することを欲している誰かを探し出さなければならない。さらに、あなたはそのパンを焼いている人、オレンジジュースを提供できる人、そして卵を持っている人が欲しがっている何かを持っていなければならない。たとえあなたが鉛筆を持っていたとしても、向こうがそれを欲していなければ交換は成立しない。
つまり、物々交換のシステムでは、交換が成立するために二重の偶然が必要となる。つまり私は、私が欲するものを所有している誰かを探し出さなければならないばかりか、その誰かが私が所有しているものを欲していなければならない。比較的、未発達な経済においては交換される商品の範囲が狭く、そのような条件を満たす相手を見つけるのは難しくないため、しばしば物々交換に基づく経済が機能している。

最後の主張は甚だ怪しいものですが、あまりに曖昧な言い方のため、まともに反論することさえできません。

数多くの商品が存在する複雑な社会においては、物々交換のシステムは耐え難いほど手間がかかる。日頃、食料品店に行って買って来るものすべてについて、それらを所有し、しかもあなたが持っているものと交換したいと思っている人を探さなければならないとしたらどうなるか、想像してみるといい。
双方の合意に基づいた交換の媒介(支払いの手段)があれば、二重の偶然によって双方の欲望が合致しなければならないという問題は、きれいに片が付く。

ここで強調しておく必要があるのは、この主張が実際に起きたことを述べているのではなく、想像力の産物として提示されていることです。

「交換の媒介の存在が社会にとってどのような利益をもたらすかを知りたければ」「物々交換による経済を想像してみるといい
(Begg, Fischer, Dornbuch "Economics"2005)

「現代社会において、あなたの労働の成果を誰か他の人の労働の成果と直接交換しなければならないとしたら」「どのような困難に見舞われるか想像してみるといい
(Maunder, Myers, Wall, Miller "Economics Explained"1991)

「あなたは雄鶏を所有しているが、薔薇が欲しいと思っている」「そんな状況を想像してみよう
(Parkin, King "Economics"1995)

このような例は枚挙にいとまがありません。こんにち、おおかたすべての経済学の教科書が同じようなやり方でこの問題を扱っています。歴史的に見て、かつて貨幣が存在しない時代があったことは明らかである、と彼らは言います。それはどのような社会だったろう?こんにちと同じような経済から貨幣を取り去ってみたらどうなるだろう。恐ろしく不便に違いない!だから人々は効率よく交換するために貨幣を発明したのだ、と。
経済学者の語る貨幣の物語は、いつも“物々交換”というお伽の国から始まります。では、この空想の国はいつ、どこに設定されているのでしょうか。原始時代の穴居人でしょうか?太平洋の孤島の住民でしょうか?それともアメリカ開拓民?経済学者Joseph Stiglitz と John Driffill の本は、私たちをニューイングランドか中西部にあるような空想の田舎町へと誘ってくれます。

小さな町の中で、昔ながらの農夫が、鍛冶屋や、服屋や、食料品店や、医者などと物々交換しようとするところを想像してみよう。簡単な物々交換でも成立するためには二重の偶然によって需要の一致を見なければならない。ヘンリーはジャガイモを持っていて靴を欲しがっている。一方、ジョシュアは要らない靴を持っていて、ジャガイモを欲しがっている。こんな状況なら物々交換で双方が満足することができる。しかし、ヘンリーが持っているのが薪で、ジョシュアはそれを必要としていないとなったら、他のたくさんの人々を巻き込んで、多元的な交換を試みるしかないだろう。貨幣はこうした多元的交換を簡便に行うための手段となる。ヘンリーは誰かに薪を売って金を得て、その金でジョシュアの靴を買えばいいのである。

またしてもここで登場するのは、現代社会と同じように機能しながら、貨幣だけが存在しないという空想の国です。これは全く無意味な空想です。貨幣経済の存在しない場所で食料品店が開けるわけはありません。どうやって仕入れをするのでしょうか?まあ、それは置いておきましょう。経済学の教科書を書く人たちが、どうしてもこの“物語”を繰り返し語りたがるのには単純なワケがあります。これは経済学者にとって後にも先にも最も大切な物語なのです。1776年、ほかならぬこの物語を語ることによって、グラスゴー大学の道徳哲学の教授だったアダム・スミスが経済学という学問を生んだのですから。

(つづく)





posted by snail trail at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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