2016年05月28日

空飛ぶ車と右肩下がりの利益率について〜A〜 デビッド・グレーバー

Of Flying Cars and the Declining Rate of Profit
DAVID GRAEBER

 期待されたテクノロジーの爆発的発展 ―月面基地や、ロボット工場など―はなぜ予測通りに実現しなかったのか?二とおりの場合が考えられる。ひとつめは、私たちが考えていた技術革新のペースが現実的でなかった。その場合、なぜ多くの知識人がそれを現実的だと考えていたかを知る必要がある。反対に、私たちの期待が非現実的ではなかったとしたら、なぜ数多の信頼に足るアイデアや予測が実現しなかったかを知る必要がある。

 学者やアナリストはたいてい前者の説明を好む。そして原因を冷戦期の宇宙開発競争に求める。なぜ合衆国とソ連はあれほど有人宇宙飛行に固執したのだろう、と彼らは首を傾げてみせる。科学的調査の方法としては効率的とは言い難い。そして結果的に、人類の未来に対する非現実的な期待が広まることになった、と。

 アメリカもソ連も開拓者の国としての歴史があるからだろうか?かつて、一方は西部のフロンティアへ、他方はシベリアへと膨張していった。それゆえ、両者とも無限に拡大する未来、何もない広大な空間への入植という神話を共有している。それが二つの超大国の首脳たちの決断に影響を与えたのではないか?“スペース・エイジ”に突入した今、宇宙空間の征服は未来の覇権そのものである、と。もちろん、ありとあらゆる神話的思考が働いたのは疑いもないが、それと科学的プロジェクトのフィージビリティは何の関係も無いだろう。

 当時のSF的アイデアのいくつか(今となってはどれとは言えないが)は実現し得たはずだ。もっと前の世代は、SFで描かれたものが実現するのを実際に経験している。20世紀初頭にジュール・ヴェルヌやH.G.ウェルズを読んで育った世代は、1960年ごろには空飛ぶ機械や、宇宙船や、潜水艦や、ラジオやテレビがあると夢見ていただろう ― そして、それは現実になった。1900年に月旅行を夢想することが妥当なら、60年代にジェット・パックやロボット・メイドを夢見たことが非現実的だったとどうして言えるだろう?

 実は、そうした夢が語られている間にも、実現のための現実的条件は失われつつあったのだ。50年代、60年代においてすでに、技術革新のペースは20世紀前半に比べてスローダウンしていたと考えるに足る理由がある。最後のラッシュは電子レンジ(1954)、経口避妊薬(1957)、レーザー(1958)が矢継ぎ早に登場したころだ。それ以降は技術的発展と言ってもほとんど、既存のテクノロジーを巧みに組み合わせるか(例えば宇宙開発事業)、既にある技術を消費者向けに商品化するか(最も知られた例はテレビだろう。1926年に発明されているが、第二次大戦後になってやっと商品化された)でしかない。ところが、宇宙開発競争が驚異的な進歩を人々に印象付けていたこともあって、技術革新は制御不能の恐ろしいスピードに加速しているというのが、60年代の社会全般が抱いている印象だった。

 アルビン・トフラーの1970年のベストセラー『未来の衝撃』は、60年代の社会的問題はほぼすべて、技術革新のペースの増大に原因があると論じた。引きも切らない科学的ブレイクスルーの連続によって、日々の実存の基盤が変容し、アメリカ人はもやは「ふつうの生活」が何であるのか分からなくなってしまった。“家族”を見てみるといい。経口避妊薬だけではない、人工授精、試験官ベビー、精子や卵子ドナーといった技術への期待は、“母性”をも時代遅れにしてしまうだろう、と。

 人類はこの変化のペースに対して精神的な準備ができていなかった、とトフラーは言う。彼はこの現象を「加速的推進力」と呼んだ。その起源は産業革命にあり、1850年ごろには既に顕著であった。世界は変化しているだけでなく、大半の領域 ―人類の知識、人口、産業成長率、エネルギー消費― で指数関数的増大を示している。唯一のソリューションは、このプロセスをコントロールするための努力を始めることだ、とトフラーは論じた。新しいテクノロジーとその社会への影響を監視し、混乱や破壊を引き起こすと思われる技術を禁止し、進歩を社会的調和の方向へと導くための機関を設立する必要がある、と。

 トフラーの歴史的トレンドの分析はおおかた適確と言えるが、実はこの本が世に出た頃には「指数関数的」成長のほとんどは頭打ちになっていた。世界中で発表される科学論文の数は、1685年頃から15年で倍になるペースで増え続けていたが、それが横ばい状態になり始めたのがちょうど1970年頃なのである。書物や特許の発行数に関しても同様のことが言える。

 “加速的”という比喩はとくに残念である。人類の歴史のほとんどの期間、ヒトが移動する速度は時速10キロを大きく超えることはなかった。それが1900年ごろには時速160キロほどになり、その後70年間は確かに指数関数的に増大するように見えた。トフラーがこの本を出した1970年ごろ、人間が最も速く空間を移動した記録はだいたい時速4万キロあたりで、これは1969年にアポロ10号のクルーが達成したものだ。たしかにこの指数関数的増加率なら、数十年後には人類は他の恒星系に到達していると考えるのは理にかなっているように見えた。

 しかし1970年以降、加速は起こらなかった。今でも人類の最速記録はアポロ10号の乗組員たちが保持しているのである。たしかに1969年に初飛行したコンコルドは民間の旅客機として時速2200キロという最高速度を記録した。先行するソ連のツポレフ144はそれをさらに上回る時速2500キロを記録していた。しかし、その後、実用的な航空機の速度は増大していないばかりか、ツポレフ144が中止となり、コンコルドも放棄されたため、かえって減少している。

 もっとも、こうした事実がトフラー自身のキャリアを減速させることはなかった。彼は自身の分析を焼き直しながら華々しい宣言を続けた。1980年の『第三の波』はエルネスト・マンデルの「三度目の技術革命」のパクリだったが、マンデルがこの変化の中に資本主義の終焉を見ていたのに対し、トフラーは資本主義は永遠だと考えていた。1990年には、トフラーは共和党議員ニュート・ギングリッチの知的メンターとなっていた。ギングリッチの1994年の公約「アメリカとの契約」は、合衆国が時代遅れの物質的、工業的マインドセットから、新しい自由市場と情報技術もたらす「第三の波」文明の時代へ移行すべきだという考えに触発されたものだと主張した。

 この結びつきはいろんな意味で皮肉なものだ。トフラーの業績の一つとして、米国議会技術評価局OTAの発足を促したことが挙げられるだろうが、ギングリッチが1995年に下院で最初にやったことの一つが、OTAを政府の無駄遣いとしてやり玉に挙げ、予算を打ち切ることだった。しかし、ここに矛盾はない。この頃にはすでにトフラーは公に訴えることで政策に影響を与えるという路線を長らく放棄しており、主にCEOや企業シンクタンク向けのセミナーで生計を立てるようになっていた。彼の洞察はプライベタイズ(私有化)されたのである。

 ギングリッチは「保守派未来学者」を自ら名乗っていた。これは語義矛盾に思えるが、トフラーの“未来学”のコンセプトはそもそも進歩的なものではなかった。彼にとって進歩とはいつも解決しなければならない問題として立ち現れるものだったのだから。

 トフラーは19世紀の理論家オーギュスト・コントの軽量版と理解するのが妥当かもしれない。コントは、人類が科学技術の容赦ない発展がもたらす新しい時代 ―この場合には工業時代― の端緒に立っており、彼の時代の社会的変動はそれに対応できないことから起きていると考えた。それ以前の封建制社会の中からは、カトリックの神学体系が形成された。この体系の中で示される人類の宇宙の中での位置は、当時の社会システムのあり方にぴったりだった。さらに教会という制度的構造を通してその考えは広められ、強制され、結果的にすべての人々が存在の意味と所属の喜びを感じられるような仕組みになっていた。工業時代もまた独自の価値の体系を生んだ ―科学だ。だが、科学者たちはカトリックの教会組織に匹敵するものを築き上げることができなかった。そこでコントは新しい学の創出を提唱し、それを“ソシオロジー(社会学)”と名付けた。そしてソシオロジストが新しい社会的宗教における司祭となり、人々が秩序と、共同体的価値と、職業的熟練と、家族の価値を愛するよう導くべきだと結論付けた。トフラーにはこれほどの野心はなかった。彼は“未来学者”が司祭の役割をするべきなどとは考えなかった。

 ギングリッチには二人目の“導師(グル)”がいる。リバタリアン神学者のジョージ・ギルダーだ。ギルダーもトフラー同様、テクノロジーによる社会の変容という考えに執り憑かれていたが、ギルダーのほうが妙な意味で楽観的だったと言える。彼はマンデルの第三の技術革命のラディカルなバージョンを掲げ、コンピューターの出現によって私たちは“物質の超克”に立ち会うのだと主張した。以前の工業社会は物質的で、そこでは物理的労働から価値が創出された。来たるべき情報社会においては企業家の思考から直接、価値が創出される; まるで世界が神の意志によって無から生まれたように。まるで、純粋なサプライサイド経済学においては連邦準備銀行によって無から貨幣が生じ、価値を創出する資本家の手に直接与えられるように。ギルダーは、サプライサイド経済学に基づいた政策によって、宇宙開発のような時代遅れの無用の長物ではなく、より実りある情報科学や医療分野へ資金が流れることになるだろう、と結論付けた。

 しかし、ロケットやロボットではなくレーザープリンターやCTスキャンに結実する研究へと投資の流れを変える、意識的もしくは半意識的な動きは、トフラーの『未来の衝撃』(1970)やギルダーの『富と貧困』(1981)よりはるか以前に始まっていたと考えられる。彼らの本がもてはやされたのは、その論旨 ―これまでどおりの技術的発展のパターンは社会変動をもたらすため、既存の権威の構造を維持するためにはそれを特定の方向に導かなければならない― という主張が、権力の座にある者の考えに共鳴したからである。政治家や産業界のトップはしばらく前からそのような懸念を抱いていた。

***************

 産業資本主義は極めて急速な科学の発展と技術革新をもたらした ― それは、人類史において前例を見ないものだった。資本主義の最大の批判者であったカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスですら、その「生産力」の爆発的増大を称揚した。マルクスとエンゲルスはさらに、工業生産の手段を不断に革新し続けなくてはいけないことが資本主義の解体につながるだろうと考えていた。マルクスは、特定の技術的な理由により、価値は ―そして、それゆえ利益も― 人間の労働からしか抽出し得ないと考えていた。競争により工場主たちは生産ラインを機械化し、労働コストを抑えようとするだろう。これは企業にとって短期的には利益を生むが、機械化の全般的な効果は利益率を低下させるだろう、と。

 150年間、経済学者たちはこれが真実かどうか議論してきた。もし真実だとすれば、60年代に事業家たちが、人々が期待していたようなロボット工場に研究費を費やすことを止めて、その代わり工場を中国や南の国々のローテクな労働集約的施設に移転したことは、まことに理にかなっていたと言える。

 すでに指摘したように、生産プロセス ―工場そのもの― の技術革新のペースもまた50年代、60年代においては落ちてきていたと考えるに足る理由がある。しかし、アメリカとソ連の競争の副作用によって技術革新が加速しているように見せかけられていた。壮大な宇宙開発競争が繰り広げられていただけではなく、アメリカの工業プランナーたちは既存のテクノロジーを一般消費者向けに商品化することに血道を上げていた。これは繁栄への期待と進歩への信頼に満ちた楽観的なムードをつくり上げ、労働者が政治に魅かれないようにするための牽制として機能した。

 こうした動きはソ連のイニシアチブに対する反応だったのだが、この辺りの歴史はアメリカ人の記憶から抜け落ちている。冷戦の終わりごろには、一般の人にとってのソ連のイメージは恐るべきライバル国から無残な失敗国家に転落していた ― うまくいかない社会の見本だ。実は50年代までアメリカ上層部は、ソ連の社会システムのほうが優秀なのだと考えていた。彼らは、1930年代、合衆国が大恐慌の泥沼にはまり込んでいた頃、ソ連が年10パーセントから20パーセントというほとんど前代未聞の経済成長率を維持していたことを忘れてはいかなかったのだ ― そして追い打ちをかけるようにソ連の戦車隊はナチス・ドイツを撃破し、1957年にはスプートニクの打ち上げに成功し、1961年にはボストーク1号で初の有人宇宙飛行を成功させた。

 アポロの月着陸はソビエト共産主義の成果だと言われることがある。ソ連の政治局が宇宙開発に野心を燃やしていなかったら、アメリカはこのような大事業を思いつきもしなかっただろうというわけだ。私たちは旧ソ連の政治局と言うと頭の固い灰色の服を来た官僚たちを思い描きがちだが、彼らは壮大な夢を夢見た官僚たちなのだ。世界革命という夢はその端緒に過ぎない。もっとも、そうした夢の多く ―大河の流路を変えたりといった― は環境的にも社会的にも破壊的としか言えないものだったし、ヨセフ・スターリンの100階建ての宮殿とか20階建のレーニンの彫像とか、計画段階で消え去ったものも数え切れない。

 宇宙プロジェクトでの成功の後、こうした計画のうちで実現したものはほとんどないが、ソビエト首脳部は絶えず新たな計画を発案し続けていた。80年代に至っても、アメリカが最後の国家的大事業スターウォーズ計画を推進しようとしているのを横目に、ソ連はテクノロジーの創造的な使用によって世界を変えようと目論んでいた。ロシア以外の国でこうした計画を覚えている者はほとんどいないだろうが、巨大なリソースをつぎ込んで推進されていたのだ。もう一つ特記すべきは、スターウォーズ計画がただソ連を撃沈するためだけのものだったのに対して、ソ連の計画していた国家的事業の多くは軍事とは関係なかった。例を挙げれば、湖や海でスピルリナと呼ばれる食用微生物を栽培し、世界中の飢餓を解消する試みとか、軌道上に巨大な太陽光発電パネルを何百と打ち上げ、ビームで電気を地球に送信し、世界的なエネルギー問題を解決するとかいったものだ。

 宇宙開発競争に勝利したとされるアメリカのほうは、1968年以降、誰もこの競争に本気で取り組まなくなった。その結果、宇宙が最後のフロンティアであるという神話だけが残ったまま、実際の研究開発はもう火星基地やロボット工場の実現とは全く別の方向に向かうようになった。

 ここでお決まりの台詞は、こうしたことはすべて市場の勝利の結果だ、というものだ。アポロ計画は“大きな政府”の計画であり、官僚主導の国家事業だったという意味でソビエト的なものだった。そして、ソ連の脅威がもはや問題で無くなると、技術開発は資本主義本来の脱中心的で自由市場の要求に沿った路線 ―例えば民間資本によるパーソナルコンピューターのようなマーケッタブルな製品の研究など― に戻った、というわけだ。トフラーやギルダーが70年代から80年代初頭に提唱した路線がこれである。

 しかし現実には、アメリカが政府主導の技術開発計画を放棄したことはなかった。それらは主に軍事の領域に移っただけだ。スターウォーズ計画のようなソビエト的スケールの計画だけではない。様々な兵器開発、通信及び監視技術やそれに類するセキュリティー分野のテクノロジーである。ある意味、アメリカではいつだってそうだった。かつての宇宙開発の予算など、ミサイル開発につぎ込まれた莫大な金額に比べれば微々たるものだ。それが70年代に入る頃には、基礎研究までもが軍事的プライオリティーに基づいて行われるようになった。いまだにロボット工場が存在しない理由の一つは、ロボット工学の研究予算のおおよそ95パーセントをコントロールするペンタゴンが、製紙工場を自動化するより無人爆撃機ドローンを開発することに関心があるからだ。

 さらに情報技術と医療分野への研究開発のシフトは、とりたてて消費者市場の要請に沿うような方向転換ではなく、米国の世界的な階級闘争への完全勝利とソ連の技術的衰退という現実に全面的に適応した動きであったと言うこともできるだろう ― それは海外における米軍事力の圧倒的な優勢の実現と、国内における社会運動の壊滅と時を同じくして起こっている。

 実際に出現したテクノロジーはと言えば、主に監視、労働管理、そして社会的コントロールに資するものばかりだ。コンピューターはある種の自由の空間を実現した、とはよく言われることだが、アビー・ホフマンが想像したような労働の無いユートピアを実現するどころか、その正反対の効果を生むような方法で使われている。それは資本のファイナンシャライゼーションを可能にした結果、労働者を救いの無い負債へと追い込んだ。同時に、雇用者側に“フレキシブル”な就労システムを構築する手段を提供し、その結果、伝統的な雇用保障は破壊され、ほとんどすべての人において労働時間は増加した。工場労働が海外に委託されたことに加え、この新たな就労システムの出現によって組合運動は根絶やしにされ、あらゆる効果的な労働者階級の闘争の可能性は摘まれてしまった。

 一方、医学と生命科学の分野に前例を見ないほど大規模な投資が行われたにもかかわらず、癌の治療法も風邪の治療法もまだ無い。医療分野での最も劇的な“ブレイクスルー”と言えば、プロザック、ゾロフト、リタリンといった薬 ― 新たな労働環境の要請が私たちの精神を完全に、機能しなくなるほど狂わせてしまうのを防ぐためにテイラーメードされたものだ。

 このような結果を鑑みつつ、ネオリベラリズムの墓碑銘はどんなものになるか想像してみよう。後世の歴史家たちは、それはつねに政治的要請を経済的要請にシステマティックに優先させる資本主義の一形態だ、と結論付けるのではないだろうか。資本主義を唯一可能な経済システムに見せかけるための努力と、資本主義を長期的にバイアブルな経済システムに変容させる努力の間で選択を迫られた時、ネオリベラリズムは必ず前者を選ぶ。どう考えても、雇用保障を破壊しながら労働時間を増加させることで、より生産的な(より創造的であったり忠実であったりすることはもちろん)労働力は得られないだろう。結果は恐らく、経済学の言い方に倣えば“マイナス”となる。80〜90年代に世界中のほとんどの国で成長率が低下したことがこの印象を裏付けている。

 しかし、ネオリベラリズムは労働者の非政治化と未来のあり方を過度に固定することに関しては効果的であった。経済的に言えば、軍、警察、民間警備会社などの増大/増加は重荷でしかない。実のところ、資本主義のイデオロギー的勝利を確実にするために創られたこれらの装置のデッドウェイトが、資本主義を沈没させる可能性すらある。だが要は、現在の世界とは違う、もっと必然的で救いのある世界のあり方を求める意識を抹殺するのがネオリベの企ての重要な要素なのは明らかだろう。
(つづく)
posted by snail trail at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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