2015年09月15日

存在しないノルウェー スラヴォイ・ジジェク 難民危機を論じる


 アフリカや中東から西ヨーロッパに押し寄せる難民の流れは、エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で明らかにした末期がん患者が死を受容する過程に驚くほどよく似た反応を引き起こした。まず最初に《否認》がくる: 「深刻な問題じゃない。気にしないことにしよう」(今ではこんな言い分はほとんど聞かなくなった)。 次に《怒り》― なぜ、私がこんな目に遭わなければならないのか?― これは否認することがもはや不可能になったとき、爆発する。「難民は私たちの生活文化に対する脅威だ;イスラム原理主義者が紛れ込んでいる; 難民の流入を止めなければならない!」 そして《取り引き》: 「分かったよ、受け入れ数の分担を決めよう。彼らの母国に難民キャンプをつくろう。」 続いて《抑鬱》: 「どうしたらいいんだ、ヨーロッパが‘ユーロパスタン’と化しつつある!」 そしていまだに現れていないのがキューブラー=ロスの言う第五の段階、すなわち《受容》だ。この場合、それは難民に対するヨーロッパ全体による計画を策定することを含むだろう。

 何をすべきなのだろうか?世論は鋭く対立している。左派リベラルは、ヨーロッパ諸国が地中海で何千何万という難民が溺死するのを放置していると、怒りをあらわにしている: 彼らは、すべてのヨーロッパ諸国が一致団結して門戸を開放すべきだと主張している。反移民派ポピュリストたちは、私たちは自らの生活文化を守らなければならないと言う: 外国人の問題は、外国人が自分で解決すべきだ、と。どちらもマズい策に思えるが、より酷いのはどっちだろう?スターリンに倣って言えば、どちらも最悪である。いちばんの偽善者は国境の開放を主張する者たちだ。彼らはそんなことが起き得ないのを重々承知している: 即座にヨーロッパじゅうでポピュリストによる暴動が起きるからだ。彼らは美しい魂を演じているだけ。堕落した世界を優越している気になりながら、その世界と馴れ合い続けている。一方、反移民派ポピュリストたちだって、アフリカや中東の人々が自分たちの力で問題を解決し、社会を変えようとしても失敗に終わることを、よく知っている。なぜ無理なのか?私たち西洋世界がそれを阻んでいるからだ。リビアは西洋の介入によって混沌の中に突き落とされた。アメリカ合衆国のイラクへの攻撃がイスラミック・ステート勃興の条件をつくった。中央アフリカ共和国で現在進行中の南部キリスト教徒と北部イスラム教徒の間の内戦は、単なる民族憎悪の爆発ではない。それは北部で原油が発見されたことに端を発している: この資源を手中にしようとするフランスと中国の間の代理戦争なのだ。コルタン、コバルト、ダイヤモンド、銅などの鉱物資源に対する世界的な欲望が1990年代から2000年代初頭にかけるコンゴ民主共和国において武装勢力が跋扈する“戦国時代”を助長した。

 難民の流れの大本を把握しようと思うなら、その多くがいわゆる‘失敗国家’― 国家権力が様々な度合いで機能していない国々から来ていることを認識することが重要だ: すなわちシリア、イラク、リビア、ソマリア、コンゴ民主共和国等々。国家権力の崩壊はローカルな現象ではなく、国際政治とグローバルな経済システムの帰結である。リビアとイラクをはじめとするいくつかのケースでは、西洋による直接的な介入の結果だ。(もうひとつ覚えておかなければならないのは、中東の‘失敗国家’は第一次世界大戦中にイギリスとフランスによって引かれた境界線によってあらかじめ失敗を運命づけられていたということだろう。)

 中東の最も裕福な国々(サウジアラビア、クウェート、UAE、カタール)が同地域の裕福でない国々(トルコ、エジプト、イラン等)に比べ、難民に対して開放的でないと言う事実も見逃してはならない。サウジアラビアは“ムスリム”難民をソマリアに送り返しさえした。それはサウジアラビアの原理主義と絶対君主制による排他性のせいだろうか?そのとおりだろう。と同時に、歳入を石油に依存しているサウジアラビアは、西洋諸国の経済に完全に取り込まれたパートナーでもある。サウジアラビア(さらにクウェート、カタール、UAE)に対しては、大量の移民を受け入れるよう本格的な国際的圧力がかけられて然るべきだ。とくにサウジアラビアは反アサド派勢力を支援することによって、こんにちのシリアの状況に対して責任の一端を負っているのだから。

 こうした富裕国を特徴づけるのは新しい形態の奴隷制だ。アラビア半島では無数の移民労働者が基本的人権と自由を奪われた状態にある。アジアでは無数の労働者が強制収容所まがいの搾取工場で寝起きしている。こうした例はもっと身近にもある。2013年12月1日、フィレンツェの近くのプラートの町にある中国系の衣料品工場で火災が起き、段ボール製の仮眠所にいた作業員7名が逃げ遅れて死亡した。地元労働組合のロベルト・ピストニナは「この惨状に驚いたとは誰にも言えないだろう」と語った。「フィレンツェとプラートの間の地域で何百、いや何千と言う人々が奴隷同様の状態で働いているというのは、もう何年も前から周知のことだった。」 プラートには4000以上の中国系企業があり、何千何万という中国系移民が市内に違法に居住していると思われる。彼らは小さな工場や卸業者などで、酷い場合は1日16時間労働に就いている。

 新しい奴隷制は上海やドバイやカタールの郊外にだけ見られるのではない。私たちの只中にあるのに、私たちにはそれが見えない。あるいは見ようとしない。搾取労働はこんにちのグローバル資本主義の構造的要請だ。ヨーロッパに入って来る難民の多くは、増大するプレカリアート労働力の一端を担うだろう。そして往々にして地元の労働者は仕事を奪われ、生活の脅威に対抗しようと、反移民派ポピュリズムに加担することになるだろう。

 一方、戦争で引き裂かれた祖国を逃れた難民たちは、ある夢にとらわれている。イタリア南部に到着した難民は、そこに留まることを望まない: その多くはスカンディナヴィアに行きたがっている。カレーにいる何千何万の移民はフランスに満足していない: 彼らは命懸けでイギリスに向かおうとしている。バルカン諸国の何万という難民たちはドイツに行こうと必死だ。彼らはそうした夢を絶対的な権利であるかのように主張し、ヨーロッパ当局がまともな食料と医療だけでなく、望みの目的地までの交通手段まで提供してくれることを要求している。この要求には不可思議なユートピア志向がある。ヨーロッパは彼らの夢を実現しなければならない、とでも言わんばかりだ ― ちなみにこの‘夢’は当のヨーロッパ人にとっても多くの場合、手の届かないものなのだ(南欧や東欧の人たちの中でノルウェーに住みたいと思っている人は少なくないのではないか?)。貧困、危険、苦悩の只中にいるときこそ ― 私たちは彼らが最低限の安全と健康の保証だけで満足すると考えがちだが ― そのような状況においてこそ、人は最も強硬なユートピア主義者となる。しかし、難民たちが直視しなければならない厳しい現実がある。それは彼らが求める「ノルウェー」は、恐らくノルウェーに行っても見つからないということだ。

 受け入れ国の人々が「自分たちの生活文化を守りたい」と言うこと自体はレイシズムでも原-ファシズム的でもない: そのような見方は止めるべきだ。さもなければ、ヨーロッパでの反移民感情が邁進するのを妨げるものはなくなるだろう。最近の例では、反移民政策を掲げたスウェーデン民主党が社民党を退けて第一党となった。左派リベラルのスタンダードな主張は傲慢なモラリスムである: 「生活を守る」などという考えに少しでも耳を傾ければ、自分たちのポジションを相対化することになる。それでは反移民派ポピュリストが大々的に主張していることの穏当なバージョンを提案しているに過ぎなくなる、というわけだ。実は、これこそがここ数年、中道派の政党が採用してきた慎重な姿勢にほかならない。一方で反移民派ポピュリストのあからさまなレイシズムを批判しながら、同時に“ふつうの人々の不安”に理解を示し、より“理性的”な反移民政策を実施するというものだ

 だとしても、私たちは左派リベラル的態度を退けるべきだ。「ヨーロッパは他者の苦しみに無関心だ」などと状況を道徳的に非難する態度は、移民排斥主義の暴力性と表裏一体のものでしかないからだ。それらはどちらも自明とは言い難い命題を前提としている。それは、生活文化を守ることと倫理的なユニヴァーサリズムは両立しない、というものだ。私たちはリベラル派の自問自答「われわれはどこまで寛容であるべきか?」にハマり込むのを避けなければならない。国の学校に子どもを通わせない移民を許容できるのか; 女性に特定の装いと行動を強要する人々を許容できるか; 子どもの結婚を親が決め; 同性愛者を差別する移民を許容できるのか?そのような問いを立てれば、答えはいつだって、われわれは寛容さが足りないか、あるいはすでに寛容すぎるかのどちらかにしかならない。この自縄自縛から解放されるには、単に許容するという考えを超えることだ:私たちは単に他者に対して尊厳を示すだけではなく、共通の闘いのために連帯する可能性を探るべきだ。なぜならこんにちの彼らの問題は私たち自身の問題なのだから。

 商品は自由に国境を超えて流通するが人間はできない ― このグローバル経済に対して私たちが払う代価が、難民だ。外国人が国境に浸透し溢れかえる状況は、そもそもグローバル資本主義の裡に孕まれている。移民問題はヨーロッパだけのものではない。南アフリカでは4月に、近隣諸国からの100万人以上の難民が、職を奪ったとして地元の貧困層に襲撃される事件が起きた。このようなケースはこれからも増えるだろう。原因は戦乱だけではなく、経済危機、自然災害、気候変動などさまざまだろう。福島で原子力災害が起きた直後、いっときだが日本政府は東京地域全体を避難させることを検討していた ― 2000万人以上の人々だ。それが実現していたら、避難民はどこへ行っただろうか?国内で新たに開発するための土地を与えられたろうか。それとも、世界各地へ分散させられただろうか?気候変動によってシベリア北部が居住と農耕に適した土地となり、サハラ以南のアフリカ大陸が干ばつにより大きな人口を支えることができなくなったら?人間の再配置はどのように行われるべきだろうか。過去にこのような大変動が起きたときの社会的変容は自然発生的かつ粗暴で、暴力と破壊を伴っていた。

 人類はもっと“可塑的”でノマディックな生き方ができるようにならなければならないだろう。ひとつはっきりしていることがある。国家主権の定義を根源から問い直し、グローバルな協力と意思決定のための新しい方法をつくらなければならない。まず、差し当たっての問題として、ヨーロッパは難民に尊厳ある扱いを提供することを改めて約束しなければならない。ここに妥協があってはならない。大規模な移民は私たちの未来の現実だ。このようなコミットメントがなければ、待っているのは新たな形の蛮行だけだ(これを「文明の衝突」などと呼ぶ者もいる)。

 二つ目に、こうしたコミットメントの必要な帰結として、ヨーロッパは明確な規則と法を施行すべきだ。難民の流れの管理はEUの全メンバーが参加する行政的ネットワークを通して施行されなければならない(ハンガリーやスロバキアのような単独の政府による蛮行を防ぐため)。難民は身の安全を保証されるが、同時にヨーロッパ当局から割り当てられた目的地を受け入れなければならないこと、ヨーロッパ諸国の法と社会的義務を尊守しなければならないことを、はっきり認識させなければならない: 宗教的、性差別的、民族差別的な暴力は一切許容されない; 他人に信仰や生活文化を強要する権利は誰にもない; それまでの共同体の習慣等を捨てたい者は誰でも、男女を問わずその自由を尊重されなければならない、等々。女性が顔を覆いたければ、その選択は尊重されなければならないし、顔を覆わないことを選ぶなら、そうしない自由が保証されなければならない。こうした規則は西洋的生活文化を優位にするものだが、それがヨーロッパでの受け入れの代価なのだ。こうした規則は明文化され、必要に応じて強制的に施行されなければならない ― 外国の原理主義者に対しても、国内のレイシストに対しても。

 三つ目に、国際的な軍事的、経済的介入の新しいかたちが発明されなければならない ― 近年の介入が陥ったネオ=コロニアリズムの罠を避けることができる方法だ。イラク、シリア、そしてリビアのケースを見れば、間違った介入(イラクとリビア)も、不介入(シリアでは表面的に不介入の見かけの下で、ロシアやサウジアラビア等の外国勢力が深くかかわっていた)も、どちらも同じデッドロックに陥ることが分かるだろう。

 四つ目が最も重要でかつ難しい。難民が発生する条件を根底から失くすための根源的な経済的変化が必要なのだ。グローバル資本主義の作用を変えない限り、非ヨーロッパ系難民の波にギリシャをはじめとする連合内の国からの難民が合流するのは時間の問題だ。私が若い頃は、このような組織的な調整の試みをコミュニズムと呼んでいた。これを再発明すべきときかもしれない。長い目で見て、それが唯一の解決策ではないのか。
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2014年10月06日

ジジェク>香港

ツイッターで流れてきました。

元サイトはこちら。

私は残念ながら中国語は読めないので、ブログ本文記事の内容は分かりませんが、以下、英文を基にジジェクのメール内容のみ翻訳してみました。

親愛なる香港の学生たち、市民たちへ

私はあなたがたが「不可能な」夢を追い求めることを全面的に支持します。歴史は繰り返し私たちに教えてくれています。社会が「不可能」だとするものをあえて主張したときにのみ、運命は変えられるのだということを。そして、大人たちの日和見主義的な妥協のゲームに加わるならば、必ず失敗するのだということを。だから現実的になりなさい―不可能を要求するのです!

そして覚えておいてほしい。あなたがたの夢とは、単に選挙制度にかかわることではありません。あなたがたの毎日の生活、そして経済にもかかわることです。非人間的な不動産価格、情け容赦ない私有化、香港のみならず北からも参入し続けるキャピタリストたち。経済的権利、社会的正義と連帯がなければ、投票用紙などただのフェティッシュにすぎません。

ここへ来て皆さんが、どんな解放運動においても肝要なのは、抑圧された草の根の人々との連帯、そして彼らからの支持なのだということを実感されていることを願っています。そうした人々と共に立つときにのみ、銃と嘘で武装した連中は渋々譲歩し、あなたがたの「不可能な」夢が夢以上のものになるのです。

私からの最上の祝福を。この解放への闘争において、私はいつもあなたがたと共にあります。

スラヴォイ・ジジェク

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2013年08月26日

負債:その5000年の歴史 2-3

DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 2 The Myth of Barter (3)

第二章 物々交換という神話B

 というわけで、この物語はあまねく知られています。まさに現行の経済システムの創世神話です。それはすでに私たちの常識の中に深く刷り込まれていて、マダガスカルのような地ですら、人々はお金の起源について他の可能性を想像できないほどです。

 問題は、これが実際に起きたことだいう証拠が全く無いこと。そして、そうではなかったと示唆する証拠が膨大に存在することです。

 何世紀もの間、探検家たちはこの伝説の物々交換の地を見つけようとしてきましたが、誰も成功しませんでした。アダム・スミスは物語の舞台を北アメリカ先住民に設定しているようです(アフリカや太平洋の島々を好む経済学者もいます)。たしかに、少なくともスミスの時代のスコットランドの図書館には、ネイティブ・アメリカンの経済システムに関する信頼のおける情報は無かったでしょう。しかし、19世紀半ばにはルイス・ヘンリー・モーガンのイロコイ族の6部族連邦に関する報告が出版されているわけです。そこにはイロコイ族の主要な経済機構はロングハウスであったことが明らかにされています。物資のほとんどはそこに貯蔵され、女性たちの寄合によって分配されました。矢じりを肉の塊と物々交換する、などということはしなかったのです。

 しかし、経済学者たちはこの情報を完全に無視しました。例えば、1871年に貨幣の起源に関する古典的な著作を出版したスタンリー・ジェヴォンズは、鹿肉やらエルクやらビーバーの皮やらを交換するという、スミスの使った例をそのまま採用しています。実際の北米インディアンの生活についての報告を読めば、こうした話が完全にスミスの想像の産物であることが明らかなのに、そうした情報を活用しようとはしませんでした。また、宣教師や冒険家や植民地の行政官らが世界中に進出していった時代、スミスの本を読んでいた者たちは、どこかに物々交換の地があると期待して出かけて行ったのですが、結局、誰もそれを見つけることはありませんでした。彼らは、世界にはありとあらゆる形態の経済システムがあることを知りました。にもかかわらず、こんにちに至るまで、隣人同士の日常の経済的なやり取りの中で「あんたのウシと俺のニワトリ20羽を交換しよう」などと言っているような社会は世界のどこにも発見されていないのです。

 物々交換についての人類学からの決定的な考察は、ケンブリッジ大のキャロライン・ハンフリーによってなされました。その結論はこれ以上ないほど“決定的”です。
「物々交換の経済は存在しない。これはあまりにはっきりしている。今まで記録されたこともなかったし、そこから貨幣が出現したということもあり得ない。民族学的記録のすべてが、そのようなものは存在しなかったと示唆している。」

 ここではっきりさせておきたいのは、物々交換という行為自体が存在しないというわけではないし、スミスが「野蛮人」と呼ぶような人々によって行われていないというわけでもないということです。ただ、それはスミスの例のように、同じ共同体に属する村人同士の間では行われない、ということです。通常、物々交換はよそ者、もしくは敵との間で行われます。

 ブラジルのナンビクワラ族(Nambikwara)の例を見てみましょう。彼らはまさにスミスが例に挙げるような人々です。単純な社会構成で分業化はさほど見られず、多くても100人程度の部族集団に分かれて生活しています。時折、別の部族が煮炊きのためにおこした火を見つけたりすると、使者を送って交換のための会を開く交渉をします。申し出が受け入れられると、女性と子どもを森の中に隠してから、相手の部族の男性たちを招待します。それぞれの部族集団には酋長がいます。全員が揃うと、酋長はそれぞれ相手の部族を褒め称え、自分の部族を謙遜するスピーチを行います。そして全員、武器を置いて一緒に歌い踊ります。このダンスは戦の身振りを模したものです。それが終わると、個人同士の物々交換が始まります。

 何か欲しい物があれば、その持ち主に対して、それがどれだけ素晴らしいか誉めちぎる。相手は、その持ち物を手放したくないか見返りをもっと欲しい場合には、それが貴重だと言う代わりに、くだらない物だと主張する。たとえばそれが斧だとしたら、「この斧はダメだ。古くて鈍っている」などと言うのだ。

 合意に至るまで、こうしたやり取りが、怒ったような声で行われる。話がつくと、それぞれが相手の手から品を奪い取る。たとえば首飾りを交換した場合、それを自分で外して手渡すのではなく、相手が力づくで奪い取らなければならない。一方の集団が忍耐を欠き、完全に話がつくのを待たずに相手から品を奪い取ったりすると、口論が起き、しばしば暴力に発展する。


 最後には女性たちが森から出てきて、盛大な宴が行われます。しかし、ここにも諍いの種があります。音楽と高揚した気分の中で、性的誘惑がさかんに行われるからです。嫉妬から口論が起こり、時には誰かが殺されることもあります。

 これが物々交換の実態です。祝祭的な要素に包まれてはいますが、それは潜在的に敵同士であり、戦争をしてもおかしくない集団の間で行われるものなのです。そして、人類学者の記録のとおりであれば、後になって一方の集団が不当な取引だったと感じた場合には、簡単に本当の戦争が起こります。

 次に、地球を半周ほど回ったオーストラリアの西アーネムランドにスポットライトを移動してみましょう。そこに住むグヌィング族(Gunwinggu)の人々はザマラグ(Dzamalag)と呼ばれる交換の宴で近隣の村の人々をもてなすことで知られています。この儀式では、実際に暴力沙汰が起きる危険性はかなり薄れています。その要因の一つとして、この地域の人々には半族制度による秩序が存在することが挙げられます。どの村の出身者であれ、同じ半族に属する者同士では、婚姻はもちろん、性交もしてはならないという決まりがあります。逆に、属する半族が違っていれば、相手と見なして構わないということです。つまり、ある男性にとって、自分の村であろうが遠く離れた村であろうが、女性の半分とは性行為を禁じられていますが、あとの半分とは遠慮なく事に及べるのです。さらに、この地域には村ごとに特化した交換の品があります。それぞれの村に、他の村と交換するための特別の品があるわけです。

 以下は1940年代にロナルド・バーント(Ronald Berndt)という人類学者が記録したザマラグの様子です。
 ここでも儀式は見知らぬ者同士の間で始まります。最初にいくらかの話し合いがもたれたのち、一方が他方の村に招かれます。ゲストの村は鋸状の刃がついた素晴らしい槍を作ることで知られています。ホストの村はヨーロッパ製の上質な布地を手に入れるルートを持っています。宴はゲストのグループがホストの村の“輪の場”と呼ばれるダンスの場所に入ってくるところから始まります。ゲストの中の3人が音楽を奏で、ホストを楽しませます。2人が歌を歌い、3人目がディジェリドゥで伴奏します。そのうち、ホスト側の女性たちがやって来て、音楽を奏でる男たちに襲いかかります。

 男も女も立ち上がって踊り出す。グヌィングの女性2人は音楽を奏でる男たちと反対の半族に属しており、彼女たちが男たちに「ザマラグを与える」ところから儀式が始まる。彼女たちは男たちに布を差し出し、男たちに触れたり叩いたりする。ついには男たちを地面に引き倒し、「ザマラグの夫」と呼びながら、エロティックな戯言に興ずる。

 これをきっかけにザマラグの交換が始まる。じっと座ったままのゲストの男たちに対し、反対の半族の女たちがやって来て布を差し出し、叩き、性交に誘う。男たちはされるがままだ。歌と踊りは続き、歓声がわき起こる中、女たちは男たちの股間に手を伸ばし、腰巻を解いてペニスに触ろうとする。さらに“輪の場”から引きずり出して性交にいたろうとする。男たちはまるで渋々そうするかのように、ザマラグの相方と共に火に照らされた踊りの場を後にし、離れたブッシュの中で性交する。男は女にタバコかビーズを渡す。女たちは戻って来ると、自分の本当の夫にこのタバコを渡す。夫たちは妻がザマラグに参加することを奨励したのだ。順番がくると、この夫たちもザマラグの相手を得て性交し、このタバコを相方の女性に渡すのである。


 入れ代わり立ち代わり歌い手と伴奏者が現れ、同じように女たちに襲われ、ブッシュの中に引っ張り込まれます。男たちは自分の妻に「恥ずかしがるな」と言ってハッパをかけます。グヌィングのもてなしをしたという評判を保つために必要なことだからです。最終的にはその夫たちもゲストの妻たちと性交します。同じように贈り物を差し出され、叩かれ、ブッシュの中へと誘われるのです。ビーズとタバコが循環します。参加者の全員が少なくとも1度はペアになって性交し、ゲストが手に入れた布に満足すると、女たちは踊りを止めて2列になって立ち、ゲストは彼女たちに代価を払います。

 ゲストの中の一方の半族の男たちが、反対の半族の女たちに踊りながら近づき、「ザマラグを与える」。シャベルのようになった刃先の槍を持ち、まるで女たちを突くような振りをするが、刃の平らな部分で叩くだけだ。「お前たちを槍で突いたりしない。すでにペニスで突いたから。」そう言って槍を女たちに差し出す。次にゲストのもう一方の半族の男たちが、同じような所作の後に、反対の半族の女たちに、鋸状の刃のついた槍を差し出す。これで儀式は終わりだ。続いて大量の食べ物が振る舞われる。

 この非常にドラマチックな記録は、多くの事柄を明らかにしてくれます。グヌィング族はナンビクワラ族の交換儀式と全く同じ諸要素(音楽、踊り、潜在的な敵対関係、性的誘惑)を、ある種の祝祭的なゲームに仕立て上げました。そこでは危険性は大幅に薄められ、バーントが強調しているように、参加者全員が大いに楽しんでいるのです。むろん、背景として、西アーネムランドでは部族間の関係が概ね友好的であることも幸いしているでしょう。

 しかしながら共通しているのは、それらが見知らぬ者同士の間で行われ、おそらくは2度と会うことのない相手だということです。当然のことながら、継続的な人間関係を持つことになる相手ではありません。だからこそ、1対1の交換を行うことが適切なのです。それぞれの側が品を差し出し、それで終わりです。そのためにまず、音楽や踊りなどの快楽を共有することによって、友好的なムードで場を包みます。交換には常にこうした友好的ムードが不可欠です。そして、実際の交換が行われる段になると、じゃれ合うように攻撃する振りを見せることによって、潜在的な敵意が表現されます。見知らぬ者同士の物品の交換においては、常に潜在的な敵意が存在しています。なぜなら、どちらの側も相手を騙すことができ、そうしない理由はどこにもないからです。そしてナンビクワラ族の場合は友好的ムードは壊れやすく、遊戯的な攻撃性の表現が本物の戦いに変わることも珍しくありません。これに対して、性に対しておおらかなグヌィング族は、快楽の共有と攻撃性を、見事に一つの儀式的要素にまとめています。

 ここで経済学の教科書の言葉を思い出してみましょう。「貨幣のない世界を想像してみよう」「物々交換の社会を想像してみよう」云々。上に挙げたような人類学的記録がこれ以上もないほど明らかにしていることの一つは、経済学者の想像力というものがどれほど乏しいかということではないでしょうか。

 なぜそうなってしまうのでしょう?そもそも「経済学」という学問は、靴とジャガイモであれ、布と槍であれ、あらゆる場合において「交換」とは各個人が最も有利な条件を求めて行うものだという前提に立ち、それを対象とすることによって成立しています。そこでは物品の交換は、戦い、情熱、冒険、謎、性、死などとは無関係なものとして抽出されます。経済学においては、人間の行動の様々な領域の間は厳然と区別され得ると考えていますが、グヌィングやナンビクワラの人たちにそんな区別はありません。

 こうした区別はそもそも特定の制度の存在を必要とします。すなわち、警察、監獄、弁護士などです。それらがなければ、互いに相手を好いておらず、継続的な関係性を保とうとする意志が全くなく、相手から最大の利益を得ることだけを考えている者同士が、あからさまに相手の所有物を奪う行為にいたらない理由はありません。そして、さらにこの区分は、私たちの生活が、市場(買い物をする場)と消費の領域(音楽、宴、性的誘惑などが行われる場)にきれいに分割されるという考えにつながります。ここでも、経済学の教科書に登場するような世界観―アダム・スミスがその普及に絶大な役割を果たしました―は今や私たちの常識の一部となってしまっており、別のあり方を想像することすら難しくなっています。

 こうした例から、なぜ物々交換をベースにした社会が成り立たないのかが徐々に明らかになります。もし、そんな社会があったとしたら、そこでは誰もがお互いの喉元に刃を突きつけているようなもので、今にも襲いかかる構えを見せながら、永久に宙吊りになったような状況で生きなければならないでしょう。知っている者同士で物々交換をする例もありますが、その場合も両者の間に相互的な責任や信頼関係は存在せず、継続的な関係を築く意志がない、つまりは他人であっても構わないような相手なのです。例えば、パキスタン北部のパフトゥーン人は盛大なもてなしで知られていますが、彼らが物々交換をする相手は、もてなしの間柄(あるいは血族関係など)に含まれていない人々です。

 男たちは物々交換による取引を好む。それはアダルバダル(adalbadal=give and take)と呼ばれる。男たちは常に自分の持ち物をもっと良い物と交換できないかと目を光らせている。たいていは、同じ物を交換する。例えばラジオを別のラジオと、サングラスを別のサングラスと、腕時計を別の腕時計と、といった具合に。しかし、全く別の物が交換される場合もある。例えば自転車をロバ2頭と、など。アダルバダルは必ず親戚関係ではない者同士で行われる。男たちは相手より有利な条件で取引をすることに大きな喜びを感じる。取引で得をすると彼らはそれを大いに自慢したがる。損をした者は取引を御破算にしようとするか、掴まされた品を誰か何も知らない者と交換しようとする。アダルバダルをするのに最高の相手とは、遠くに住んでいる者で、そうした者は苦情を言いに来る可能性が低いからである。

 こうした不届きな動機による交換は、何も中央アジアに限ったことではありません。スミスの時代から100〜200年前までは、英語の truck and barter (取引・交換)は、「騙す。巻き上げる。盗む。」の意味でした。これはフランス語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語、ポルトガル語においても同様です。自分が最大の利益を得るように画策しながら何かを別の何かと直接交換するという行為は、通常、大切に思っていない相手、2度と会うことがないであろう相手との間にすることです。そのような場合、相手を都合のいいように利用するのを思いとどまらせる理由はありません。一方、相手が例えば近所の人であったり、友人であったりした場合、公正にかつ誠実に付き合おうとする気があれば、必ずや相手の個人的な必要や、希望や、状況を考えに入れた上でやり取りするでしょう。たとえ物品を交換した場合でも、あなたはおそらくそれを贈り物だということにするはずです。
(つづく)

posted by snail trail at 16:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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