2013年01月13日

負債:その5000年の歴史 1-3

"DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 1 On The Experience of Moral Confusion (3)
(3回か4回に分けて掲載します。)


第一章 よくある道徳的混乱 B

負債をめぐる議論は、少なくとも5000年の間続けられています。人類の歴史の大半 ― 少なくとも国家や帝国の歴史の大半―において、ほとんどの人間は、自分は債務者であると思い込まされてきました。歴史家たち、ことに見識あふれる歴史家さえ、不思議とこのことの人間的な帰結について考察することを避けてきた感があります。このような状況が何よりも、つねに怒りとルサンチマンを引き起こしてきたことを考えると、実に奇妙なことです。人々に「お前たちは劣った存在だ」などと言えば、当然いい顔はしないでしょうが、驚いたことに武装反乱につながることは稀です。一方、人々に、お前たちとは平等であり得たかもしれないが、お前たちはしくじった、それゆえ、お前たちは自分たちが持っているものの正当な所有者たり得ない、お前たちはそれに値しないのだ、と言うほうが、怒りを引き起こす可能性は高いのです。これこそまさに、歴史が私たちに示していることではないでしょうか。何千年もの間、富める者と貧しき者の争いは、たいてい債権者と債務者の闘いという形をとってきました。さまざまなことの是非を問う議論がありました ― 利息を課すこと、債務による労役、恩赦、取り立て、補償、羊の差し押さえ、ブドウ園の押収、債務者の子どもを奴隷に売ること。その上、これまでの5000年間、特筆すべき頻度で、まさに同じ理由から民衆の反乱が起こってきました。その際にはまず負債の記録が破棄されました ― 書字板、パピルス、帳簿など、その時代と地域の記録媒体を儀式的に破壊したのです。(反逆者たちはそれが終わると、次はたいてい土地の登記や課税額の査定を標的にしました。)偉大な古代ギリシャの研究家モーゼス・フィンリーいわく、古典的な革命運動の目標はただ一つ。すなわち「負債を帳消しにし、土地を再分配すること。」

私たちがこうした事実を見過ごしがちだというのはとても奇妙なことです。というのも、現代の道徳や宗教にかかわる言葉にはこうした闘いから直接生まれたボキャブラリーが非常に多く含まれているからです。"reckoning(決算/審判)" "redemption(弁済/贖罪)" などは最も明白な例で、非常に古い金融用語からそのままきています。広い意味で言えば "guilt" "freedom" "forgiveness" さらには "sin" などについても、同じことが言えます。「本当は誰が誰に対してどんな借りがあるのか」を巡る議論が、〈善〉と〈悪〉に関する私たちの基本的なボキャブラリーを形成するのに主要な役割を果たしたのです。

道徳に関する言葉の多くが負債を巡る議論から生まれたということが、負債という概念の奇妙なとらえどころのなさの要因となっています。王を批判するのに王の言語を使わなければならない、という状況です。そもそも、この前提に何の意味があるのかは分かりませんが。

負債の歴史を見てみると、まず明らかなのは、根本的な道徳的混乱が存在するということです。
その最も顕著な表れは、世界中ほとんどどこでも、人類の大半はいかなる時代においても以下の信念を抱いてきたということです。すなわち; (1)借りた金を返すのは、単純に道徳的な問題である。 (2)金貸しを常とする者は邪悪な存在である。

後者の点については、評価に幅があるのは事実です。最も極端なのはフランスの人類学者ジャン=クロード・ゲイリーが遭遇したヒマラヤ東部の例でしょう。この地域では1970年代に至るまで下位カーストの人々 ― 彼らは何百年も前に現在の領主であるカーストに征服された住民の末裔であるとされ、「敗北した者たち」と呼ばれていました ― が終わりなき負債に依存する生活を送っていました。土地もなく、一銭も持っていない彼らは、ただ食べていくためだけにも地主から借金をしなければなりませんでした。地主たちは利息を取るために貸すわけではありません。そもそも微々たる額なのですから。その代わりに、貧しい債務者たちは労働の形で返済することを期待されていました。このことは、彼らが債権者の家の厠屋を掃除したり、屋根を葺き替えたりする間、少なくとも屋根のある寝床と食事にはありつけるということを意味していました。「敗北した者たち」にとって ― 実のところ、世界中のほとんどの人々にとってそうなのですが ― 人生において最も金のかかる行事は婚礼と葬儀でした。これにはまとまった額の金が必要で、それは必ず借金によってまかなわれていました。ゲイリーによれば、カーストの高い金貸しがこのような貸し付けをする際、担保として借り手の娘を要求することがふつうに行われていました。そして、貧しい父親が娘の結婚式のために金を借りる場合、往々にして花嫁自身を担保に入れることになりました。花嫁は結婚式の後、金貸しの家に行き、そこで妾として数ヶ月過ごし、飽きられると近くの材木伐採地に送られ、そこで父親の負債を返済するために一年か二年、売春婦として働かされたのです。返済が終わって初めて、彼女は夫の元に戻り、新婚生活を始めることができました。

これはショッキングで、あまりに非道なことに思えます。しかし、ゲイリーの報告によれば、当の人々には不正が行われているという認識はあまりなかったようです。みんな、これが社会というものの仕組みなのだと思っていたのです。また、地元の道徳的権威であるはずのブラーミン(バラモン階級の人々)にも懸念の声を上げる者はいませんでした。もっとも、これにはなんの不思議もありません。地域の最も有力な金貸しは、こうしたブラーミンたち自身だったのですから。

とはいえ、閉じられた家々の扉の陰で、人々がどう言っていたのかを知ることは難しいでしょう。例えば、マオイスト反乱分子がこの地域を占拠し(実際にインドの辺境ではそうしたグループがいくつか活動しています)、地元の高利貸しを片っ端から捕まえて裁判にかけたとしたら、きっといろいろと違った意見が聞けただろうと思われます。

しかし、ゲイリーの調査は私が考える最も極端な可能性の一つを具体的に示しています。すなわち、高利貸し自身が究極の道徳的権威と見なされている例です。例えば、これを中世フランスの例と比較してみましょう。そこでは金貸しの道徳的立場が厳しい追及にさらされていました。カトリック教会は一貫して利子を取って金を貸すことを禁じていましたが、規則は往々にして忘れ去られ、廃れてしまったので、教会上層部はしばしば伝道キャンペーンを組織しました。托鉢修道士が町から町へと旅しながら、高利貸したちに対し、悔い改め、それまでに奪い取った利子をすべて被害者たちに補償しなければ、必ずや地獄に落ちるであろうと説きました。

こうした説教のうちいくつかは現在まで残っていますが、悔い改めない金貸しに対して神の審判が下るという筋立てのホラーそのものです。金持ちが狂気や恐ろしい疫病に倒れ、死の床でも悪夢にうなされ、行きつく先の地獄で彼らの肉を引き裂き、貪り食う蛇や悪魔に苛まれます。教会によるこうした運動がピークを迎える12世紀になると、もっと直接的な罰が使われるようになります。教皇は各地の教会に対して、教区の金貸し全員を破門するよう指示したのです。金貸しは秘跡を授かることができなくなり、どんな事情があろうと、死んだ後も遺体は神聖な土地に埋葬されてはならないとされました。1210年頃、フランス人の枢機卿ジャック・ドゥヴィトリーが書き残した逸話に、非常に影響力のあった高利貸しの死後、その友人たちが教区司祭に、規則を曲げて遺体を教会の墓地に埋葬するよう圧力をかけた話があります。

死んだ金貸しの友人たちがあまりに強硬に言い張るので、司祭は彼らの圧力に負け、こう言った。「では遺体をロバの背に乗せ、神の意志にお任せしましょう。神が遺体をどうされるか見るのです。ロバが運んで行った先に、私は遺体を埋葬しましょう。教会の敷地であろうと、墓地であろうと。」遺体を背の上に乗せられると、ロバは右へ左へとさまようことなくまっすぐ町を出て、盗人を処刑する絞首台へとそれを運んで行った。そこで思いっ切り背中を跳ね上げ、亡骸を絞首台の下に溜まった汚物の中に振り落した。

世界中の文学作品を見回しても、金貸しに対して同情的なものは一つとして見当たらないと言ってもいいくらいです ― 少なくとも、それを生業としている者、つまり、金利を取って金貸しをしている者に関しては。これほど一貫して悪いイメージを付与されている職業を、私は他に知りません(処刑人くらいでしょうか?)。ここで特筆すべきは、処刑人と違って、高利貸しは往々にしてその所属する共同体において最も裕福で影響力のある層に属しているということです。にもかかわらず、「高利貸し」という語そのものが、容赦ない取り立て、血の報酬、身を切る返済、魂を売り渡すなどといったイメージを喚起します。そして、そうしたイメージの背後にあるのは、悪魔そのものです。ときには悪魔自身が、帳簿や元帳をため込んだある種の高利貸しの姿で表象されることもあります。あるいは、高利貸しの背後にとりついた影のような存在として、その悪党の魂を取り立てるのを待っていることもあります。高利貸しはその生業の必然として地獄と契約を結んでいることが明白なのですから。

歴史的に見て、金貸しが非難を逃れる効果的な方法は2つしかありません。第三者に責任を転嫁するか、借りた人間のほうがもっと酷いのだと言い張るかのいずれかです。中世ヨーロッパの領主たちは最初のアプローチを採りました。ユダヤ人に代理をさせたのです。そうした領主の多くは、お抱えのユダヤ人を保護していました。とはいえ、これにはまず領土内においてユダヤ人が金貸し以外の方法で生計を立てられないようにし(こうすることでユダヤ人は人々から忌み嫌われるようになります)、定期的に彼らを迫害し、忌まわしい存在だと主張したうえで、彼らの金を奪うという手順が採られました。2番目のアプローチのほうがありきたりと言えばありきたりです。こちらは結果的に、金の貸し借りにおいては貸し手も借り手も同様に罪深いのだという考え方に行きつきます。そもそもが卑しい行為であり、往々にしてどちらも地獄に落ちる運命なのだ、と。

宗教的伝統が違えば、見方も違ってきます。中世ヒンドゥー教の法典では、利子を取って金を貸すことが許されていました(主な条件は元金を上回る利子を取ってはならないということでした)。それどころか、債務者が支払いを怠れば、債権者の家の奴隷として転生することが強調されていました。さらに時代が下ると、債権者の所有する馬か牛になるとされました。これとよく似た債権者に対する寛容さと、借りる側の人間がカルマによる罰を受けるという警告話は、仏教にも多数あります。とはいえ、金貸しがやり過ぎるようになると、ヨーロッパと同じ趣向の逸話が登場するようになります。中世日本の説話集にそうした逸話の一つが収められています。著者によれば実話であるというこの話の主人公は、広虫女(ひろむしめ)。770年頃の裕福な郡司の妻で、強欲な財産家だったと言います。

水を混ぜて薄めた酒を売って多大な利益を得るなどしていた。あるいは、小さな枡で測って貸し付け、取り立てるときは大きな枡を使うこともあった。貸したときには少ない量だった米が、返してもらうときには増えているわけである。このようにして強引に手にした利益は膨大なものだった。元の貸付の十倍、百倍になることもあった。取り立ては厳しく、情け容赦がなかった。そのため、人々は彼女のことを恐れた。多くの人々が彼女から逃れるために家を捨て、放浪の身となることを余儀なくされた。

彼女が死ぬと、僧侶たちが7日間、棺桶の前で経をあげ続けました。そして7日目、奇怪なことに彼女は生き返りました。

見に来た者たちは何とも言えぬ異臭に鼻をつかれた。彼女の腰から上は牛の姿になり、その額からは大きな角が突き出していた。両の手の爪は割れ、牛のひづめのようになっていた。しかし、腰から下は人間だった。米を与えても食べず、草を好んだ。何度も吐き出しては反芻し、自分の糞便の中に裸で寝そべった。

噂は広まりました。罪悪感と恥に駆られた家族は必死に赦しを得ようとします。金を貸した者たちの負債を帳消しにし、財産の大半を寺に寄進したりしました。そしてようやく、慈悲がもたらされ、怪物は死んだのです。

自身も僧侶であった著者は、これは転生が未完成だったために起きた怪異だと考えました。広虫女は「理にかない、正しいこと」の範疇を超えたことをした業によって、罰を受けたのだというわけです。ただ、彼にとって問題だったのは、仏教の経典に引き合いに出せるような前例がなかったことです。というのも、ふつう牛に生まれ変わるとされていたのでは、債権者ではなく債務者でした。そのため、物語の教訓を述べる段になると、彼の説明は明らかな混乱をきたします。

ある経にはこうある。「借りたものを返さない者は、その償いとして、馬か牛に生まれ変わることになる」 「借り手は奴隷のようなもの。貸し手はその主人のようなもの」 あるいは、「借り手は雉であり、貸し手は鷹である」。もし、貸し借りにかかわるような立場に置かれたら、借り手の返済に度を過ぎた強制をすべきではない。そのようなことをすれば、馬か牛に生まれ変わり、貸しのあった相手に使われることになり、何倍もの返済をしなければならなくなるからだ。

一体、どっちなのでしょう?お互いに相手の納屋で動物に生まれ変わっても仕方ないでしょうに。

あらゆる偉大な宗教的伝統が、この難問の前で、多かれ少なかれ立ち往生してしまっているように思えます。一方で、人間関係において負債が取りざたされる際は、必ず道徳的に妥協することになります。おそらく、貸し借りの関係に入った時点で、貸し手と借り手双方に何らかの罪が生じると考えられているのです。少なくとも、返済が遅れれば確実に罪を負うことになるという危険を冒しているわけです。また他方で、誰かが「誰にも借りなどないように振る舞っている」と言うとき、私たちはその人物を“淑徳の鑑”だと評価しているわけではありません。俗世における"道徳"とは他者に対する義務を果たすことなのですから。そして、私たちにはその"義務"をある種の"負債"としてイメージするという、頑固な傾向があります。僧侶なら、俗世を完全に捨てることでこのジレンマを避けることができるのでしょうが、どうやら残された私たちは辻褄の合わない世界で生きることを余儀なくされているようです。

(つづく)






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2013年01月04日

負債:その5000年の歴史 1-2

"DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"
CHAPTER 1 On The Experience of Moral Confusion (2)
(3回か4回に分けて掲載します。)


第一章 よくある道徳的混乱 A

それから数週間、その言葉は繰り返し私の頭の中で反芻されました。なぜ「負債」なのか?この概念の持つわけのわからない力はどこからくるのか?消費者ローンは経済を支える血液のようなものです。現代のすべての国家(nation-states)は赤字財政の上に成り立っており、いまや負債は国際政治の中心課題にすらなりました。にもかかわらず誰も、それが正確に何であるか、あるはどう考えていいのかすら分かっていないように思えます。

「負債とは何か」が分からないという、まさにそのことが、この概念に融通性を与え、その力の基となっています。歴史から学ぶべきことがあるとすれば、暴力によって打ち立てられた関係をあたかも道義であるかのように正当化する際、それを「負債」をめぐるボキャブラリーを用いて再定義する以上に効果的な方法はないということです。なぜなら、そうすることですぐさま、被害者に何か非があるように見せることができるからです。マフィアのメンバーはこのことをよく理解しています。征服軍の司令官も同様です。何千年も前から、暴力を稼業とする人間にとって、被害者が彼らに対して「借りがある」という言い方は、常套句でした。「命を貸してやっている(“owe them their lives”)」などという脅し文句もあります。殺されていない、というだけで借りがある、というわけです。

こんにちでは、軍事的侵略は人道に対する罪とされていますから、侵略者が国際法廷にかけられることになれば、たいてい被害者に対して賠償金を支払うように命ぜられます。ドイツは第一次大戦後に膨大な賠償金を支払わなければなりませんでしたし、イラクは今でもクウェートに対して1990年のサダム・フセインによる侵攻の賠償金を払い続けています。しかしながら、途上国債務―マダガスカル、ボリビア、フィリピンなどの負債に関しては、全く逆方向にことが進んでいます。こうした債務国はほとんど例外なく、ある時期にヨーロッパ諸国に侵略され、征服された国々です。なのに往々にしてかつての侵略者が彼らの債権者となっています。

一つ例を挙げると、1895年、フランスはマダガスカルを侵略し、当時の女王ラナヴァルナV世の政府を解体、フランスの植民地とすることを宣言しました。当時の征服者の言うところの「平定」後に、ガリエニ総督がまず行ったのは、マダガスカルの人々に重税を課すことでした。その一部は侵略されたことによって生じた損害を補綴するためのものでした。そしてさらに、フランスの植民地は財政的に自立しているべきだとされていたので、フランス政府が望んだ鉄道、道路、橋、プランテーション等々の建設費用はすべて現地の人々が負担しなければなりませんでした。マダガスカルの納税者たちは、こうした鉄道、道路、橋、プランテーション等々が欲しいかどうか尋ねられたことはありませんでしたし、どこにどのようにして造るかについて意見を反映させてもらえたこともありません。それどころか、その後の50年間で、フランスはこれに対して強い反対を表明するマダガスカル人を大量に虐殺しました(1947年の反乱では50万人を上回る数が殺されたという報告もあります)。マダガスカルがフランスに対してこれに相応する損害を与えたことがあるわけでは全くありません。にもかかわらず、当初からマダガスカルはフランスに対して負債があると言われ、こんにちでもマダガスカルの人々はフランスに借金を返済する義務があると考えられており、かつ世界中の人々はこの状況の正当性に疑問を差し挟みません。“国際社会”が道徳的懸念を示すのは、たいていマダガスカル政府の返済が遅々として進まないことに対してです。

負債は“勝者の正義”であるばかりではありません。勝つはずではなかった者を罰するためにも使われます。この最も顕著な例はハイチ共和国の歴史に見られます。この貧しい国は、恒久的な負債返済のための労役に就かされた最初の例なのです。ハイチはプランテーションで働かされていた元奴隷たちが建国した国です。彼らは果敢にも全人類に共通の権利と自由を掲げて蜂起したばかりか、彼らを再び隷属させるべく派遣されたナポレオンの軍隊を打ち負かしてしまいました。すると、フランスは新しくできた共和国に対し、すぐさま、所有権を奪われたプランテーションや、失敗に終わった軍事遠征の費用として、1億5000万フランの返済を強く求めました。そして、それが支払われるまでハイチに対して通商禁止令を敷くことに、アメリカを含む他の国々が同意したのです。彼らが故意に返済不能な金額(およそ180億ドルに相当)を設定したことで、「ハイチ」という名はその後長い間、負債と、貧困と、人間にとっての悲惨の代名詞のように扱われるようになったのです。

時に負債は、全く逆の様相を呈しているように見えることもあります。途上国債務の返済を厳しく迫るアメリカは、実は1980年代以降、すべての途上国の債務を合わせた額でさえ微々たるものに思えるほどの負債をつくっていました。その負債の主な源は軍事費です。しかしながら、アメリカの対外債務はほとんどの場合、事実上アメリカ軍の保護下にある国々(ドイツ、日本、韓国、台湾、タイ、湾岸諸国)の機関投資家が保有する米国財務省長期債券という形を取っています。そうした国々のいたるところにある米軍基地の兵器や装備は、まさにそのような赤字支出によってまかなわれているのです。現在、中国が米国債を保有するようになって、状況は多少違ってきました(中国は特別なケースです。その理由は後に述べます)。とはいえ、それほど大きくは変わっていません。中国でさえ、大量のアメリカ国債を保有することで、ある程度までアメリカの国益によって自らも利益を得る立場になったことに気づいたはずで、その逆ではないのです。

さて、アメリカ財務省に絶え間なく集められるようになっているこうした金の流れは、いったい何なのでしょう?貸付なのか?それとも貢税なのか?かつては、国外に何百という基地を持つ軍事強国はふつう“帝国”と呼ばれ、当たり前のように現地の人々に貢税を要求していました。もちろん、アメリカ政府は自らがこのような“帝国”であることを認めはしません。しかしながら、アメリカがこうした金の流れを「貸付」であって「貢税」ではないと言い張る理由は、まさに行われていることの真の性質を否認するためなのだと立論することは難しくありません。

実は歴史を通じて、ある種の負債や、ある種の債務者は特別の扱いを受けてきた、というのは珍しくもない事実なのです。1720年代、債務不履行者を収容する監獄の実態がイギリスの大衆に明らかにされた時は、スキャンダルを巻き起こしました。こうした監獄は二つのセクションに分けられていました。貴族階級の人間にとっては、フリートやマーシャルシーといった監獄でしばらく過ごすのは、ちょっとした箔のつく余暇でしかありませんでした。彼らはお仕着せを着た召使たちに酒や食事を給仕してもらい、娼婦を呼ぶこともできたと言います。一方、“庶民”のセクションに収監されるのは貧しい者ばかり。狭い監房の中に何人も押し込められ、「汚物と病害虫にまみれていた」と、ある報告には書かれています。「情けもかけられず、飢えと刑務所熱(発疹チフス)で苦しみながら死んでいった」と。

ある意味では、現在のグローバルな経済状況の中で起きているのは、同じことのもっと大規模なバージョンだと見ることができます。前述の場合なら、アメリカがゴージャスな収監生活を送る金持ちの債務不履行者で、マダガスカルはその隣の雑居房で飢え死にしかけている貧しい収監者ということになるでしょう。そして、金持ちの債務不履行者に仕える召使たちが、貧しい者たちに向かって「お前たちの苦しみは自己責任だ」と説教を垂れているのです。

さらに、ここにはもっと根本的な問題があります。これはほとんど哲学的な問いと言ってもいいでしょう。銃をつきつけて1000ドルの「用心棒料」をよこせと要求している悪党と、同じく銃を手に1000ドルの「借金」をさせてくれと要求している悪党の違いは何なのか?ほとんどの場合、違いなどありません。しかし、ある特定の状況においては、違いが存在しうるのです。例えば、韓国や日本に対する負債の場合がそうです。ある時点で力のバランスが変化し、アメリカの軍事的優位が揺らぐことになれば―つまりゴロツキが手下を失うことになれば―この「借金」が全く別の意味を持つようになることは考えられます。それは本物の借金として扱われることになるかもしれません。しかし、いずれにせよ、関係の中心にあるのは“銃”の存在です。

私の言いたいことをもっと気の利いた形で表現したボードビルのギャグがあります。スティーブ・ライト氏のバージョンをご紹介しましょう。

こないだ連れと一緒に歩いてたら、裏通りから銃を持った野郎がいきなり出てきて「手を上げろ」って言うんだ。
俺は財布を取り出しながら「ただ金を出すのはもったいない」と思った。だから、金を引っ張り出しながら連れに「おいフレッド、悪いがお前に借りてた50ドルをやるからな」と言ったんだ。
強盗の奴はこれが気に入らなかったらしく、自分の懐から1000ドル出してフレッドに渡し、、銃を突きつけながらそれを俺に貸すように言い、その後でそれを俺からブン盗ったよ。


結局のところ、銃を持った男は自分のしたくないことは一つとしてする必要がありません。それでも、暴力を根底にした支配でさえ、効率的に行うにはそれなりのルールを打ち立てる必要があります。このルールは完全に恣意的なものです。ある意味では内容などどうでもいいとさえ言えます。ただ彼らにとって不都合なのは、「負債」という枠組みを使って行為を正当化しようとすれば、そのうち誰かが「誰が誰に何を借りているのか」ということを問題にし始めるということです。

(つづく)




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2012年12月23日

負債:その5000年の歴史 1-1

Occupy Wall Street の理論的指導者、人類学者、アクティビスト、アナーキストである David Graeber の "DEBT:THE FIRST 5000 YEARS"は、経済そのものの根源を問う非常に刺激的な本です。極めてラディカルな内容ながら平易な英語で書かれており、大学の教養レベルの英語力でも十分読みこなせます。紹介として、導入部を翻訳してみます。興味を持たれたら、ぜひ原書にトライしてみてください。

CHAPTER 1 On The Experience of Moral Confusion (1)
(3回か4回に分けて掲載します。)

第一章 よくある道徳的混乱 @

 二年前、私は奇妙な偶然の成り行きで、気づくとウェストミンスター寺院のガーデン・パーティに出席しており、いささか居心地の悪い思いをしていました。別に他の客たちが不快だったり、友好的でなかったりしたわけではないし、パーティを主催したグレーム神父は、思いやりと魅力あふれるホスト以外の何ものでもありませんでした。にもかかわらず、私はかなり場違いな気分でした。ある時点で、グレーム神父が助け舟を出してくれました。噴水のそばに私が興味を持つような人物がいると言うのです。彼女は、若くてこぎれいな身なりの、真面目そうな女性で、神父が言うには弁護士だということでした―「と言っても、アクティビスト的なタイプですよ。反貧困活動グループに法的サポートを提供するロンドンの組織で働いておられます。きっとあなたと共通の話題がたくさんあると思います。」

 私たちは談笑し、彼女は仕事について話してくれました。私は、もう何年もグローバル・ジャスティス・ムーブメント―当時メディアでは「反グローバリゼーション運動」と呼ばれていました―に関わってきたことを話しました。彼女は興味を示しました。当然、彼女もシアトルやジェノアに関する記事は読んでいたのです。催涙ガスや市街地での衝突やら何やら… でも、ああしたことすべてで、いったい何が達成できたのかしら?

 「実際…」と私。「あの最初の2年間で私たちは驚くほど多くの事を達成しましたよ。」
 「例えば?」
 「そう、例えばIMFをほとんど完全に破壊することができました。」

どうやら彼女はIMFの本質を理解していなかったようなので、私は国際通貨基金が世界中の国々に対する債権者として振る舞っていたのだということを教えてあげました―「言ってみれば、人の足を折るようなことを高度な金融の世界でやっているわけです。」

さらに私は歴史的な背景を説明しました。1970年代の石油危機の最中、OPEC諸国が新たに手に入れた膨大な富が欧米の銀行に流入し始めた結果、銀行は投資先のあてがなくなってしまったこと。シティバンクとチェイスが世界中に人を送り、第三世界の独裁者や政治家たちに融資を持ちかけたこと(当時、これは「ゴーゴー・バンキング」呼ばれていました)。当初、非常に低金利だったそうした融資の金利が、80年代初頭のアメリカの厳しい通貨政策によって、すぐに20パーセントかそこらまで跳ね上がったこと。そして、このことが80年代、90年代の途上国債務危機につながったこと。そこにIMFが介入し、融資することと引き換えに、基本的な食料に対する関税保護の撤廃や、さらには将来を見据えた食料備蓄計画の廃止、無料で医療や教育を提供することの廃止まで強要したこと。こうしたことすべてが、地球上でもっとも貧しく力のない人々に対する極めて基本的な生活支援をすべて崩壊させることにつながったこと。私は、貧困について、公共の資源の略奪について、共同体の崩壊について、地域にはびこる暴力について、食糧不足について、絶望と破壊された人生について語りました。

「で、あなたがたの立場は?」と女性弁護士は訊きました。
「IMFについてですか?私たちはそれを廃止したかった。」
「そうじゃなくて、途上国債務についてです。」
「ああ、私たちはそれも廃絶しようと考えました。早急な要求としては、IMFが構造改革政策を強要するのを止めさせること。直接的なダメージはすべてそこから来ていましたからね。それについては驚くほど短期間で達成することができました。長期的な目標は負債を帳消しにすることでした。聖書に出てくる大赦のようなものですね。私たちに言わせてもらえば、30年もの間、最も貧しい国々から最も裕福な国々に金が流れ続けたわけですから、もういい加減終わりにすべきでした。」
「でも―」
彼女はあたかも自明のことのように反論しました。
「お金を借りたわけでしょう?負債を返済するのは当然の義務だわ!」

ここへ来て私は、彼女との会話が当初、期待していたのとはだいぶ違ったものになることを悟りました。
どこから説明したらいいのでしょう?もともと金を借りたのは人々に選ばれたわけではない独裁者で、その金はそのままスイスにある彼らの銀行口座に収まったことを説明することもできます。そして返済を迫られるのは独裁者本人や、その取り巻き連中ですらなく、文字通り腹を空かせた子どもたちの口から食べ物を奪い取ることになるのだということの道義的是非を彼女に考えてもらうこともできたでしょう。あるいは、こうした貧しい国々の多くがすでに借りた額の3倍ないし4倍を返済しているにもかかわらず、複利という信じがたい方式のせいで、いまだに元金返済までに至っていないこと。また、借金を補綴するために再融資することと、その条件としてワシントンかチューリッヒでつくられた、ありがちな自由主義市場政策に従うことを強要することは、全く別だということ。そうした国々の人々はそのような政策に同意したわけではありませんし、これからも同意することはないのです。さらに、民主的な憲法を採用するよう強要しておきながら、選挙で選ばれたリーダーが政策を決定できない状況を強要するのは、あまりに不正直なやり方だと指摘することもできます。あるいは、IMFが提示した経済政策は全く効果がないということも。
しかし、ここにはもっと根本的な問題がありました。つまり、なぜ負債は返済されなければならないと考えられているか、ということです。


実は「負債は返済しなければならない」という主張は、通常の経済の原理に照らしても、正しくないのです。貸す側はある程度のリスクを背負うことが当然です。もし、どんな馬鹿げたものでも、融資が必ず回収できるものであるとするならば―たとえば破産法が存在しない場合などを想像してみてください―そのもたらす結果は悲惨なものです。貸主がとんでもない融資をしない理由がなくなってしまいます。

「一般的な常識に従えばおっしゃるとおりです」と私は彼女に言いました。「でも実は、経済の仕組みを見ると、融資とはそのようなものではないのです。金融機関というものは、利益を上げる可能性のある投資先に資金を配分する役割をするものであると言われています。もし、何が起ころうとも銀行が元金と利息を回収できるとしたら、このシステム自体が機能しなくなるはずです。例えば、私が王立スコットランド銀行の最寄りの支店にふらりと入って“実は今度のレースに関する耳寄りな情報が入りましてね。200万ポンドばかり融資してもらえませんか?”などと言ったとします。当然、私は笑いものになるでしょう。それは彼らが、私の賭けた馬が勝たなかったら金を取り戻せないことを知っているからです。でも、何があっても彼らが貸した金を取り戻せることを保証する法律があったらどうでしょう。私が娘を奴隷に売ったり、自分の臓器を売ったりしてでも返済することを強制する法律があったとしたら。そうなれば、彼らを止めるものは何もありません。どこかの誰かがコインランドリーか何かを始めるためのまっとうな起業計画を持ち込むのを待っている必要はどこにもなくなります。IMFがグローバルなレベルでつくり上げたのはまさにそうした状況でした。そもそも、そうした状況が出来上がっていたからこそ、悪人であることが明白な連中に多くの銀行がこぞって何百億ドルという融資を持ちかけることになったのです。」

それ以上深くは話せませんでした。というのも、このあたりまで話したところで酔っ払った金融マンがやって来て、私たちが金の話をしていることを知ると、“モラル・ハザード”がうんぬんといった見当はずれの話をし始めたからです。気づくとそれは彼の性的遍歴に関するぞっとしない自慢話に取って代わっていました。私は退散しました。

しかし、それから数日間、彼女の言葉が頭の中で反響していました。

「負債を返済するのは当然」

この言葉の強烈な説得力は、それが経済的ではなく、道徳的な主張であることからきています。そもそも、“道徳”とは他者に対する債務以外のなにものでもないのではないでしょうか。必要な支払いをすることこそ、責任を果たすことである。人は他者に対する義務を果たすべきであり、あなた自身も他人にそう期待する。約束を破ったり、借金の返済を拒んだりすることは、責任放棄の最たる例だとされるでしょう。

しかし、この自明性こそ、この言葉のもっとも厄介な呪縛だと私は気づきました。このような言葉は、世界で起きている恐るべき非道を、まるで取るに足らない、当たり前のことのように思わせる力を持っています。大げさに聞こえるかもしれませんが、その結果を実際に目にした者としては、このことを強調してもし切れません。
私は二年近くの間、マダガスカルの高地に住んでいました。私が到着する直前に、マラリアの大流行がありました。マダガスカル高地では遠い昔にマラリアが撲滅されたので、二世代ほどを経てほとんど人々は免疫を失っていたため、極めて深刻な事態となりました。マラリアを媒介する蚊を撲滅するプログラムには予算が必要です。蚊が繁殖していないか定期的に調査し、繁殖していることが分かれば殺虫剤の噴霧などを行う必要があります。大した金額ではありません。しかし、IMFから融資を受けていた政府は緊縮財政を強いられており、この監視プログラムを打ち切らざるを得ませんでした。その結果、一万人が死にました。私は、子どもを失って悲嘆にくれる若い母親たちに会いました。無責任な融資の結果として生じたシティバンクの損失を抑えるために、一万人の命が失われたことを正当化することができるでしょうか。そもそも彼らにとっては痛くもかゆくもない額なのです。しかし現に、仮にも慈善的な活動に携わる心ある女性が、それは自明のことだと言い放つのを私は聞きました。だって、彼らはお金を借りたのでしょう?負債を返済するのは当然だわ、と。

(つづく)




posted by snail trail at 19:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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